はじめまして。ゆいとの母、西ママと申します。
妊娠して3ヶ月でゆいとに心疾患がある事がわかり、仕事を辞めました。
そこから約2年半専業主婦をしていましたが、家にずっといると外との繋がりも切れ、色々考えてしまうため、また仕事をしよう!と思い保活を始めました。
今、ゆいとは療育園と保育園に通っています。
こうして色々な支援が使えるのも、今までたくさん頑張って行動してきてくれた方々のおかげだと思っています。
私もそのバトンを受け取り、今後保活をする方のためにもいろいろな選択肢を増やしたい、そう思って行動してきました。
お名前:ゆいとくん
年齢:4歳(年中さん)
病名:心疾患、気管軟化症、先天性赤芽球ろう、知的発達の遅れ、運動発達の遅れ
必要な医療的ケア:たんの吸引、吸入、モニター管理、人工呼吸器管理、在宅酸素
私が保活をした時大切にしていたことは、
- 単独通園が出来る
- ママが働ける
- 集団生活でお友達と触れ合える
の3点です。
これらの条件が揃った場所で、「ゆいとの居場所を見つけたい」そう思って行動していました。
人によって大切にしているものは違うと思うので、こんなやり方もあるんだな〜という感覚で読んでもらえたら幸いです。
目次
保活スタート! 【2歳】
ゆいとは約2歳の時に病院を退院しました。
同時に知り合いが誰もいない、今の市へ引っ越して来ました。
その時担当になった訪問看護師さんが情報をたくさん持っていて、医療ケアの事、子育ての事、支援の事、保活の事、近所のスーパーなど、全て教えてくれました。
私は「ゆいとが3歳になったら働きたい!母子分離がしたい!」と思っていたので、
と聞いてみましたが…
「なかなかいないねぇ」
「いても祖父母の協力がある人や、パパと交代で夜コンビニとかで働いたりしてたかなぁ」
「働けなくて困ってるお母さんをいっぱい見てきたから、早い段階で色々と動いた方がいいよ!!」
という返事でした。
ですがこの看護師さんは、常に私と同じ熱量を持って考えてくれた方で、そのおかげで、私は諦めずに保活をする事が出来たと思います。
児童発達支援センターの先生方に相談する【2歳】
当時、週に1度通っていた親子教室で、児童発達支援センターの先生から何度か、
何か困っている事はありますか?
と聞かれていました。なのでその都度、
ゆいとを預けて働きたいんですけど、どうしたらいいでしょうか?誰に相談したらいいのでしょうか?
と相談していました。
しかし、答えはいつも同じような雰囲気で、
「働いてるママはいないですね」
「ゆいとくんのように医療的ケアのあるお子さんは、療育へ行ってママが付き添いする形しかなく、ごめんなさいね」
「ゆいとくんの為を思うと、個別に対応してくれる療育が成長すると思うの」
「もし働くなら保育園か幼稚園を探すしかないかな?」
などの返事でした。
ゆいとが最優先ということは分かりますが、何かいつも引っかかっていました。
(ママが我慢すればいいの…?)
そして、相談しても返ってくる返事はいつも同じで、どこか他人事のように聞こえました。
働きたいと思い色々と行動したり相談したりしていましたが、結局はっきりとした相談窓口も分からず。
さらに、(結局だーれも親身に一緒に動いてくれる人はいないんだ…)と、心に穴が空いてしまったような気がしました。
周りのお友達はプレ保育に通ってて、その先にお子さんの居場所がある。
でも、私は働けるという道筋が全く見えず、やっぱり仕事をする事を諦めないとゆいとの居場所は作ってあげられないのかと、とても悩みました。
今までたくさんの手術や入院を頑張ってる子なのに…と悔しかったです。
「小学校に上がったら必ず付き添いが必要だろうし、その前の3年間は働きたい!」そう思って今まで突っ走って来たけれど、どうしたらいいんだろうと私は一度立ち止まってしまいました。
市長へ電話をかける、同時に幼稚園も探す【3歳の入園まであと5ヶ月】
日々悶々としながら、何か打開策がないかと考えていました。
今まで出会った障がい児のママに、
- 市議会議員の方に相談する
- 市長への手紙を書く
- 弁護士に相談する
- 他の県ですでに医療的ケア児を受け入れている保育園や幼稚園の参考資料を読み、うちの市でも同じような形でやってくれないか相談する
などの方法があると聞いていました。
そこで私が選んだのは、、、〈市長への電話〉です。
理由は、電話の方が相手の感情がわかるからです。
住んでいる市のホームページに載っていた、「市長への電話」という番号に電話をかけました。
電話に出たのは、市長秘書の方でした。
私は泣きながら、
子供が人工呼吸器をつけているんですが、どこにも母子分離で預かってくれる所が無いんです!
もう孤独で辛くて、誰も親身になってくれないし、納得するような答えをくれません。
と訴えました。
市長秘書の方は今までの経緯を聞いてくださり、
「関係する課と話し合ってまたご連絡させていただきます。」
と言って下さいました。
関係各所と話し合いの場が設けられる
その後、発達支援センターの方から電話があり、
「ママがこんなにも悩んでいたのにごめんなさいね」
「支援センターと保育課と障害福祉課と、一度話し合いの場を設けさせて下さい」
と言われました。
当日は、ゆいとを連れて話し合いの場に向かいました。
絶対に伝えたい思いを書き溜めたA4用紙3枚を持っていき、1時間近く私の思いを聞いてもらいました。
結果その話し合いでは、
「療育以外の場で、ゆいとくんが安全に適切な保育を受けるためにはどうしたらいいのか?を前向きに話し合っていきます。また、看護師を付けたいのでこれから募集をかけます」
という返事をもらい、少し安心したのを覚えています。
また、その後保育課と、
- どこの園だったらいいのか
- どんなケアが必要なのか
などの話し合いを行いました。
同時進行で幼稚園も探す
また、同時進行で幼稚園も探しました。
「幼稚園でも看護師さんを雇ってもらい、働けるかも?」という情報を聞いたからです。
近所にある、ゆいとと同い年のお友達が通うであろう幼稚園に2度電話をしました。
しかし!!!
話し合った結果、現場スタッフから「医療ケアがあるお子さんは何かあったら怖い」という声が上がっており、申し訳ないのですが、受け入れることはできません。
体験保育もご遠慮ください。
と言われました。
もう1つの、公開保育で行っていた近所の幼稚園にも電話しましたが、園長先生に、
「はいはい、事情は聞きましたよ。医療ケアがある子は無理ですねー。」
「はい、はーい」
と切られてしまいました。
こんな人が園長をやってるんだ…と私は悲壮感でいっぱいになりました。
もう1つの幼稚園は、
看護師を付けられるかどうかの保証はできませんが、年中までお待ち下さい
と言われました。
年中で入れなかった時の事を考えると、待つことは出来ないと思いました。
年少さんで9月からの保育園入園が決まる!【3歳】
ゆいとが3歳になる年の3月くらいに、
「まだ看護師が決まってないのですが、〇〇保育園への入園が決まりました。ですが、看護師が決まっていないので入園式には出席できません」
と通知が届きました。
やったー!と同時に、入園式に参加できないのはとてもショックでした。
そこから看護師が見つかるまで約半年。
その間、リハビリの児童発達支援へ通ったり、デイサービスへ行ったりしながら、
(年少さんの間は保育園に通えないのかなぁ…)
と不安でいっぱいでしたが、保育課から、
「9月から看護師を配置できるようになったので、週2回で入園できる体制が整いました」
と電話が来ました。
ただし、預けられる時間は8時半〜16時半まで!
体力面を考えて、年少の間は週2回保育園へ通う事にしました。
保育園入園!母子分離のために行ったこと【3歳・年少さんの9月】
保育園の入園が決まってから、今度は「母子分離で保育園へ通う」ために色々と動きました。
まずは入園前に、
- 保育課の方と保育士さんと看護師さんが病院へ来て、主治医との話し合い
- 園で実際に医療的ケアを担当する看護師さんに、病院にきてもらいカニューレ交換を練習
してもらいました。
また、入園してからは、初めは私も一緒に付き添いで登園していましたが、
看護師さんが慣れるまでずっと一緒に付き添い➡︎別室で待機➡︎3時間母子分離➡︎ お昼寝して帰る➡︎1日中母子分離
という流れで徐々に母子分離を進めました。
また、看護師さんには、
- 吸引や吸入など、医療的ケアのやり方とタイミング
- 呼吸器や酸素ボンベ、アンビューなどの操作説明
- カニューレが抜けた時など緊急時の連絡先
を伝え、必要物品の一覧表を作成して、朝この一覧表で物品確認を行うようにしてもらいました。
療育園も通園開始。療育の母子分離についての話し合い【3歳・年少さんの11月】
実は、療育との併用にずっと悩み続けていたのにはいくつか理由がありました。
- 見学へ行った時に「お母さん、ここは働くために子どもを預ける場所じゃないから、勘違いしないで」と言われた
- 医療的ケアがあるため送迎バスに乗れない。乗れる子は無料で送迎なのに…という不平等感があった
- 片道50分かかる
- 基本的に付き添いか別室待機だった
以上の理由があり療育園に通うのを躊躇していましたが、リハビリの先生たちに相談していく中で、やはり療育にも行った方がいいのでは?と助言をしていただきました。
保育園だけという選択肢もありましたが、11月から週2回、付き添いで療育へ通う事になりました。
そして、話し合いを重ね、1月を目標に、療育でもゆいとの単独通園が可能となりました!
おそらく人工呼吸器の子は初めてです。
今は保育園の時と同じように母子分離の練習や、吸引のタイミング等の説明をしています。
保育園に入り、訪れた変化
ゆいとは保育園に通うようになってから、表情が増え、体力もつきました。
コップを持って麦茶を飲める様になったり、手が過敏なのですが、色々な物に触れられるようになりました!
バギーに乗って保育園に行くと、お友達がゆいとのことを囲んでくれます。また、ゆいともお友達が大好きで、体全体で喜びを表現してくれます。
最近、パパが懇談会へ行った時の話です。
親御さんが1人ずつ、子どもの成長について話す時間がありました。ゆいとのパパがいると知らないあるママさんが、
最近は家に帰ってきてからたくさんゆいとくんのお話をしてくれるんです。
休んだとか、お手伝いした事とかゆいとくんの情報をたくさん教えてくれるから、なんだか息子がもう1人できたようで私も嬉しいです。
とお話してくれたそうです。
もちろんパパは泣くのを必死にこらえていました。
ゆいとが必要とされている仲間という事が嬉しかったです。
これから医療的ケア児の保活をする方へ
こうして今、ゆいとは保育園と療育園へ通っています。
私が動いたタイミングが、医療的ケア児の保育園受け入れのモデル事業が始まった時期とたまたま重なっていたのもあり、ラッキーだったのだと思います。
まだまだ自治体によって受け入れの可否の差が多いですが、決して諦めず、周りの方を巻き込んで動いてもらいたいなと思います。
でも、なかなか行動する事ができない…そんな方も、もちろんいると思います。
その時は、身近で動いている人を見つけることです。まずはそこを頑張って欲しいなと思います。
「色んな人に悩んでいる事や、やりたい事を言い続けていると、誰かのツテで何かにつながる」と訪問看護師さんに教えてもらいました。
ママの人生思いっきり楽しんでほしいです!
保活のために準備した「色々」
最後に、信頼できる訪問看護師さんが教えてくれた、「色々と動いたほうがいいよ」の「色々」について、私がやってきたことを書きます。
母子分離で保育園に通うために8つの目標をまとめ、それをもとに実際に行動に移していきました。
〈目標1〉ゆいとのケアを少なくする、出来ることを増やす
当時、ゆいとは終日人工呼吸器を使用し、経管栄養は1日に8回でした。さらに朝昼晩と、1日3回薬の内服がありました。
これを、
- 人工呼吸器をなるべく減らし、人工鼻+酸素の練習をしました
- 経管栄養のみの状態から、口から食べる練習をしました
- 内服薬は、朝夕の1日2回にまとめました
また、お座りはできず、寝返りが少しできる程度でしたが、リハビリ母子入院をし、座位保持が可能になりました!
〈目標2〉集団生活ができる体力をつける
集団生活に向け、ゆいとに体力を付けてもらうために行動しました。
- ママ1人で呼吸器や吸引器を持ち、移動練習を兼ねて毎日のお散歩をしました
- 児童発達支援センターなどへの外出を積極的に行いました
(最初は運転しながらの吸引に自信がなく、市役所の方に相談して移動支援を使っていました)
〈目標3〉母子分離で預かってくれる幼稚園や保育園の情報収集
地元の情報が全くわからなかったので、
- 訪問看護師さん
- リハビリの先生
- ヘルパーさん
- 市役所の障害福祉課の方
などにたくさん相談しました。
〈目標4〉ゆいとを知ってもらうために、近くの公開保育や支援センターに連れて行き、受け入れてほしいアピール
呼吸器を付けているけど、ゆいとは笑顔いっぱいで可愛いので、
「この子をぜひ保育したい!一緒に成長する姿を見たい!」
と思ってくれたらいいなぁと思い、積極的に公開保育に行き先生とお話をしました。
〈目標5〉親子教室に行くと同じような境遇の方々が通ってるので、そこでも情報収集
親子教室に行き、ゆいとが同年代の子どもと関わる機会を作り、ゆいと自身が集団生活に入っていけるのか様子を見る!
と同時に、情報集取のために、
『同じような障がいの子どもを持つママさんで働いている人がいたら、話を聞いてみたいので紹介してください!』
と先生方に相談していました。
当時、呼吸器を付けた子はゆいとだけだったので、他のママさんにも、
『未就学児で医療的ケアのあるお子さんを持つ知り合いの方はいらっしゃいますか?』
と聞いていました。
この時とにかく、
- 気管切開や呼吸器のお子さんと繋がりたかった‼︎
- 共感出来る仲間が欲しかった‼︎
- 情報が欲しかった‼︎
のです。。。
〈目標6〉ママの就活(出産時に退職の為)
「保育園」は、ママが働いていることが条件…
なのでとりあえず先に働き先を見つけて、まずは週1回、パパが休みの日に働くことにしました。
私自身が先に職場に慣れる事で、
- ゆいとも初めての保育園で疲れる
- ママも初めての職場で疲れる
というダブルの疲労感を回避できると思いました。
また、健常児の親御さんと同じように働いているのに、医療的ケア児だけが預け先が無いのは不平等だと市役所側に感じてもらい、入園拒否しにくいであろう状況を作りました。
就労の面接時は、
- 医療的ケアが必要な子供がいて、保活をしているが中々うまく進まない。
- まだ一般的には医療的ケアがあると働けない状況。
- でも、「障がいを持つ子のママは働けない」と諦めたくない。
- 生き生きと私自身も生きていきたいし、働けるという選択肢を増やしたい!
- 他の子より体調を崩しやすい為、急遽休む事もあるかと思いますが是非働かせて下さい!
とお願いしました。
〈目標7〉日中一時支援事業所を紹介してもらい、半日母子分離の練習
ゆいとにはママと離れる事に慣れてもらい、私は朝の準備の大変さを知るために、日中一時支援事業所を紹介してもらいました。
「仕事で家を出る前までに準備は大丈夫?」「家事等はできる?」「何時に起きたら間に合う?」
などの確認をしました。
その後、保育園が見つかるまでは、週1回デイサービスに預けて仕事へ行っていましたが、
- 仕事の日にデイサービスが使えるかどうかが確実ではない
- デイサービスの送迎時間と仕事の勤務時間の時間調整も必要
などの問題も見えてきました。(預けられない時は職場に連れて行っていました)
また、この時、
今後保育園に入れなかった場合、「仕事のために預ける」という使い方がデイサービスで出来るのか?それよりも他の疲弊してるママが休むために使う方が優先的だよね?
など、デイサービスの使い方にも葛藤がありました。
〈目標8〉パパとママの理想的な形をしっかりと決める
ゆいとは夜中の吸引も必要で、さらにきょうだいもいます。なので、自分の体力でどの程度働けるのかを知る必要がありました。
そこで、月〜金の理想的なスケジュールをパパと話し合いました。
また、週2回働くにあたり、
「パパに早番/休みの勤務調整のお願い」「働く日に下の子を延長保育に預ける」
などのスケジュール調整を行いました。
こんな感じで、教えてもらった事はほぼ全て行いました!
参考1:ある「ゆいと保育園の日のスケジュール」
- 6:20 吸入
- 6:50 朝ごはん、内服、検温
- 7:30 着替え、おむつ交換
- 8:00 家を出発!持ちもの→保育園バッグ、呼吸器、パルスオキシメーター、吸引器、酸素ボンベ、吸入器、いざという時のアンビューやカニューレ用バック
- 8:10 下の子保育園到着
- 8:25 ゆいと保育園到着、バギーに移動
- 8:30 看護師さんと体調確認、物品確認
⬇︎
- 9:30〜15:30 ママ仕事
⬇︎
- 16:10 ゆいと保育園お迎え、看護師さんから申し送り
- 16:25 下の子保育園お迎え
- 16:40 訪問リハビリ開始
- 17:30 訪問リハビリ終了
- 18:00 テレビ見る
- 19:00 夜ご飯、内服
- 20:00 お風呂、バンド交換、パパと遊ぶ
- 21:00 歯磨き、吸入、寝る準備
参考2:保活をする上で大変だったこと
- どこに相談したらいいのか、窓口がわからなかった
- 話を聞いてくれる幼稚園や保育園もあるが、入園できるという確信はなくそこが不安だった
- 話し合いの場にはゆいとを連れて行かなければならず、それが大変だった
- 健常児で使えるファミサポのような支援が使えないため、パパとのスケジュール調整が大変だった
- デイサービスやヘルパー、訪問看護、リハビリ等は週の中で枠が決まっていて、時間変更を週単位ではできない為、その合間で仕事を入れられるか心配だった
呼吸器が付いたお子さんがいるママさんで、働いている方はいますか?