気管切開のある娘が幼稚園に入るまで【医療的ケア児ママの保活体験談】

この記事は、「アンリーシュ作文コンテスト2020」クラウドファンディングのリターン【医療的ケア児家族を支える!体験談記事スポンサー】 の提供記事です。

株式会社マイスタースタジオ様にご支援をいただき、執筆いたしました。 貴重なご支援を賜り、ありがとうございました。

はじめまして、ちゅげと申します。

娘のはちょこは年長さんで、先天性声門下狭窄症という病気のため気管切開をしています。

現在はカニューレを卒業することが出来ていますが、就園問題にぶつかっていた当時はまだ痰の吸引が必要でした。

発達検査では遅れの指摘はなかったものの、2歳で声が出始めたため、お話する声は聞き取りにくい状態だったと記憶しています。

アンリーシュフレンズ プロフィール

お名前:はちょこちゃん

年齢:5歳(年長さん)

病名先天性声門下狭窄症

当時必要だった医療的ケア気管切開たんの吸引(現在はカニューレ卒業済)

経済的にも、自分の気持ちとしても社会に出て働きたい。そして何よりも、娘に集団活動を経験させ、こどもの社会の中で成長してほしいという気持ちから保育園探しがスタートしました。

先輩ママたちのブログ等を拝見し、医療的ケア児の就園は厳しい現状であることを覚悟していたため、早い時期から活動しようと決めていました。

私たち親子の体験が少しでもどなたかのお役に立てたら幸いです。

なお、年齢で記録を書いていますが、はちょこは2月の早生まれです。

保育園探しスタート!幼稚園も視野に 1歳〜

【1歳】

やったこと
  • 情報収集
  • 園のリストアップ

まずは役所に行き、情報収集から始めた

保育園探しといっても、何をすればいいのか、どこに行けばいいのかも分からない状態からのスタートでした。

しかし、早めに動かねばという気持ちだけはあったので、1歳を過ぎたあたりから情報収集を始めました。

まずは役所に行き、顔見知りの保健師さんに保育園に入りたい旨を伝えたのですが…自治体での前例なし、他の医療的ケア児の存在もわからず、看護師のいる園もわからずという状態。

他の窓口にも足を運びましたが結局有効な情報は得られず、同じ結果でした。

通える範囲の保育園と幼稚園をリストアップし、直接園に連絡を取り始めた

その頃のはちょこ

その後は就園活動をされた先輩ママ達のブログを読み漁ったり、通える範囲全ての保育園と幼稚園をリストアップしてネットで調べたりする日々。

役所の対応から保育園に看護師配置をしてもらうのはかなり時間がかかりそうだと考え、既に幼稚園も視野に入れていました。

私の場合は、はちょこに集団生活の中で学んでほしいというのが1番だったので、幼稚園も探すという選択ができましたが、どうしても働きたい・働かなければならない方の場合はそういうわけにはいかないだろうなと思います。

問い合わせた先の園で差別的なことを言われ、心折れる

1か所だけ看護師常駐の園を見つけたので、受け入れが可能かとりあえず話を聞きたいと思い早速電話で問い合わせをしました。

すると、以前気切っ子を受け入れたことがあるとのお話!期待して話を進めると、

  • 「看護師はそんなことをするためにいるのではない」
  • 「気切っ子が普通の保育ができないことはわかっている、保育に支障が出る」
  • 「コミュニケーションの基礎は言葉なので話せないと無理」
  • 「早生まれだし2年保育でいいのでは?」
  • 「本人が傷つくことになるのでとりあえず療育に通っては」
  • 「病院に通う園を決めてもらったほうがよい」

などと差別的に思える言葉を次々と言われ、ショックで涙が止まりませんでした。

なぜこんなことを言われなければならないのか、幼児教育に携わる人間がこんな考えなのか、という衝撃が大きすぎて何も言い返せなかったことが悔しくてたまりませんでした。

この一件で完全に心が折れ、園児や園バスを見るのも辛くなり、保育園探しは一旦ストップとなりました。

幼稚園のプレ教室に申し込みながら、自治体との話し合いを続ける 2歳〜

【2歳】

やったこと
  • 役所で看護師配置の要望を続ける
  • 幼稚園プレ教室申し込み

幼稚園のプレ教室に月1度通うように

気管切開をしていても元気いっぱいでした

自治体の親子教室に誘われ、月に1度ではありますが、はちょこにとって初めての集団活動をすることができました。

この経験は、今後園にアピールする材料になると考えていました。

結果としてお友達もでき、はじめは泣いてばかりだったはちょこが集団に慣れる大切な場となり、参加して良かったと思っています。

保育園を諦め、私立幼稚園への入園を考える

また保育園探しのやる気を取り戻した私は、役所のこども課に何度も足を運びました。担当者から何度も言われる言葉…

「看護師配置は難しい」

「付き添い無しでは受け入れられない」

月60時間以上働いて、なおかつ親子通園でお母さんが付き添っていてくれるなら通えます、と言われたときには開いた口が塞がりませんでした。

この頃に幼稚園のプレ教室募集が始まったのもあり、保育園から私立幼稚園入園に完全に切り替える気持ちになっていました。

「自治体から要請があれば看護師を配置する」と言われて 2歳半〜

【2歳半】

やったこと
  • 直接保育園の見学へ
  • 役所の担当者へ医療的ケア児の必要な支援についてお話しする
  • 幼稚園にも必要なケアと看護師配置の要望を伝える

私立幼稚園に切り替えたものの、ここで保育園探しを諦めたら、今までしてきたことが無かったことにされるのでは?このままではいられない!という思いがありました。

自分は入園できなくとも、将来通うかもしれない子への道筋を少しでも作りたい思いもありました。

ちょうど新設の私立保育園が見学会を行うというので行ってみることに。

そこで娘に病気があり、母子分離での通園のために看護師が必要な話をすると、

「自治体から依頼されたら配置します。そのときにはどうぞ来てください」

とのこと。

なので早速役所のこども課へ話をしに行きました。

看護師配置の要請をしてもらうために、自治体のこども課へ

こども課での回答は今まで通り「予算も前例もない」でした。

ですがここに来て、

「医療的ケア児に関する問題はこれから取り組んでいかなければならないとは考えている」

「しかし何をしたらいいかわからないので当事者に詳しく話を聞きたい」

というので、現状や困りごと、必要なサポートについてお話をしました。

しかしその結果、

「想定と違った。医療的ケアはお昼休みにやるとか、3時間に1回とか決まった時間にやるものと思っていた。だから自治体で1人看護師を採用し、その方に全部の保育園を巡回してもらえばいいと思っていた」

と…ずっとこども課にお話していたのに、とんちんかんな想定。全く課内で共有されていなかったのでしょう。

更に、奥にいた職員からは「求め過ぎ」という言葉も聞こえてきたのです。

「自費でやっていただくしかない」と言われた

集団生活の可能な子どもが、みんなと同じように保育園や幼稚園に通う権利を主張することが「求め過ぎ」でしょうか?そんなはずないのに。

結局この後も具体的な話へは進まず、こども課とのやりとりは、職員からの

「かかる費用が膨大すぎて自費でやっていただくしかないということになりました」

という半笑いの一言で終わりました。

怒りと呆れと様々な気持ちが溢れ、そのときの私は、時間がかかってもいいので医ケア児を受け入れる体制づくりをしてほしい旨を伝えることで精一杯でした。

また、就学に向けての活動もさらに気持ちを強く持たねばと決心しました。

私立幼稚園に入園が決定!看護師の配置もしてもらえることに 3歳〜

【3歳】

やったこと
  • 看護師が決まり、幼稚園へ親子分離で通園決定
  • ケアマニュアルの用意

幼稚園のプレ教室では付き添いをしながら、娘の活動の様子や排痰・吸引の様子を先生に見ていただいていました。

お友達の様子を気にしたり、恥ずかしがったりしながらも楽しそうに活動に参加してたくさん遊びました。

看護師のいない園でしたので、付き添いなしで通園したいことや、そのためには看護師が必要であることを何度もお話していました。

はじめは娘だけの単独通園は難しいという雰囲気でしたが、看護師の採用が決まり、入園も決まり、どんどん話が進んでいきました。

ケアマニュアルを作った

入園に向けてこちらでは、ケアマニュアルを用意しました。

内容は、病気の説明・園に持っていく物品の説明・必要なケアの説明・想定される心配事のQ&A・娘の使うハンドサイン表・緊急時対応チャートです。

実際のケアマニュアル

先生方の不安を少しでも和らげるために、病気や医療ケアについて知識がなくてもわかりやすい資料作りを心がけました。

このケアマニュアルは主治医にもOKをいただき、看護師さんと園の先生には病院までカニューレ交換の様子を見に来ていただきました。

当時の保活を振り返ってみて

反省としては、いきなり園へ電話をすると不安なイメージばかりひろがり、拒否されやすいと感じました。

園庭を開放しているところには積極的に行き、子どもの元気な姿を見てもらうと、先生の態度はかなり柔らかくなります。また、他のママからも園の情報を聞くことができます。

また、自治体より、先に園に直接話をしてしまったほうが具体的に話を進めやすい場合もあると思います。

幼稚園なら、プレ教室の募集始まってからの問い合わせでもよいかも知れません。

早すぎると相手を困惑させてしまいます。それまでは情報収集に努めるのでも良かったかもと思いました。

幼稚園に入り、娘のはちょこに起こった変化

生まれてすぐ気管切開をしたはちょこの声が出るようになったのは2歳頃のことで、3歳になったばかりの入園時は、まだ慣れない人にとってはお話が聞き取りにくい声の状態だったと思います。

はじめの頃は「みんなが喋るとはちょこの声は聞こえないの」としょんぼりすることもあったのですが、次第にお友達と関わりたい、お話ししたい気持ちがどんどん強くなっていったようです。

公園に遊びに行っても、他の子が使っている遊具には近づかず遠目で見ているだけだったはちょこが、お友達に自分から積極的に話しかけているという先生からのお話を聞いた時には驚きました。

私の心配をよそにたくさんのお友達と関わり、お話ししたい気持ちからどんどん大きな声が出せるようになっていきました。

お友達もたくさんできました!

これは、家の中で親と過ごすだけでは出来ないことです。

いくら私が大きい声の出し方を一生懸命伝えても、こんな風にはうまくいきません。

そんな大きい声を出したりたくさんお話しする練習をしたりしなくても、親はほとんど理解してくれて、家庭の中で困ることは少ないからです。

親が不在の新しい社会に参加することで、自分の気持ちを相手に伝えたいという思いが更に強くなったのだと感じます。

子どもたちの関わりの中で成長していくスピードには到底かなわないなあと思わされました。

これから医療的ケア児の保活をする方へ

自治体が障害福祉施策に関するパブリックコメントを募集していたタイミングがあり、そのときに就園に向けての活動をする中で感じた悔しい思いをありったけ込めて意見を送りました。

その成果かはわかりませんが、その後役所には医療的ケア児担当の保健師が置かれることになりました。

おかげで現在は1人であちこちの課に行く必要もなく、担当保健師さんに相談すれば他の課とも連携をとって必要な場をセッティングしてくださいます。

今までの苦労が嘘のように楽になり、とても助かっています。

 

担当になった保健師さんから、私の意見書を各課にまわして読んでもらいましたというお話を聞いた時に、「わかってくれる人に、行動してくれる人に伝わるまであきらめないで良かった」と思ったのでした。

こども課に何度も通っていたときに、まともに話を聞いてくれない職員とずっと実のない話を続けるよりも、どんどん課の上の人や議員さん等お話を聞いてくれそうな人にすぐつなげるべきだったと後悔しています。

 

また、気切っ子を受け入れたことのある園に断られた経験から、自分は次の医ケア児たちにつながる活動をしよう、と強く思っていました。

そのために、看護師配置を求めてお話しするときには「この家族の力になりたい、味方になりたい」と思ってもらえるように心がけていました。

味方になってもらい一緒に動いてもらえるよう心がけました

役所の人に対する怒りや不信感から、はじめは「戦いに行くぞ!負けないぞ!」と対立を生むようなトゲトゲした気持ちで話すことが多くなってしまい、わかっていてもなかなか上手くできず、そこが反省点となりました。

敵意むき出しで自分の意見ばかり主張する人間に協力しようと思う人は少ないと思います(たとえそれが当然の権利の主張であったとしても)。

こちらの立場の説明をして、相手の立場の話を聞いて、まずは敵意をなくし味方になってもらいましょう。

そして、それでも私たちには新しい制度が必要であることを伝え、共にたたかう仲間になってもらいましょう。

就学に向けての活動でもこの考え方はとても役に立ち、ついに義務教育での看護師配置制度を形にすることができました。

 

私の保活は、正直成功とは言えないものでした。

しかし、受け入れ先がみつかるまで粘り強く探したおかげで、今お世話になっている園とは信頼関係を築き楽しく通うことができています。

これから保活をされる親御さん方、保活真っ只中の親御さん方、悔しい思い、やるせない思いをたくさんされるかもしれません。それでも、途中で立ち止まってしまっても、諦めないでください。

医療的ケア児に対する社会の風向きは、少しずつではあるかもしれませんが確実に変わっていると感じます。

この記事が少しでも、がんばる仲間の力になれたら幸いです。最後まで読んでくださりありがとうございました。

 

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