【子育てと仕事】こんな大変な子を預けてまで、仕事をすることが罪に感じた

この記事は、アンリーシュパートナーズ様(毎月定額寄付)の提供記事です。
tomoriaku 様 よりご支援をいただき、完成いたしました。
日頃より貴重なご支援を賜りまして、ありがとうございます。

ご自身のお子さんが医療的ケアが必要だと分かった時、どう感じますか?

今回はHinata様に、息子さんのひなちゃんが
生まれてからの様子を執筆していただきました。

ひなちゃんの自己紹介


ひなちゃん(ひなた君)は、現在支援学校中学3年生、15歳です。

疾患名はドラベ症候群です。
重度のてんかんと
重度重複障害(知的肢体)があり、
お口から食べることは得意ではなく、経鼻経管栄養をしていましたが、
4歳で胃ろうの手術をしています。

もともと発作のあとに気管支炎や
肺炎になることが多く、
人工呼吸器をつけることが年に数回ありましたが、5歳になる直前、急性脳症を発症、
呼吸が上手にできなくなり、
気管切開(喉頭気管分離術)をしています。

ひなちゃんプロフィール

名前: ひなちゃん(ひなた)

年齢: 15歳・支援学校中学3年生

疾患名: ドラベ症候群

重度のてんかん重度重複障がい(知的・肢体)

医療的ケア: 胃ろう(4歳の時)・気管切開(喉頭気管分離術、5歳の時)

生まれてからの想い

出産後と仕事

ひなちゃんは生まれる前から
おなかの中で発育が遅かったことや、
体がふにゃふにゃで、哺乳がうまくできなかったことなど、思い返せば普通ではなかったのかなと…。

道を歩いている同い年くらいの子どもをみると、
『普通って何だろう?』と、
いつも胸の奥がとても痛くて、つらかったです。

小さい頃は、入院することも多く、
ょっと胃残に黒いものが混じっていただけで
不安になって病院に電話したり、
一緒にひなちゃんのことを見てほしい
という思いが強かったです。

育休を取っていましたが、
もう復帰は難しいだろうと思い
仕事は辞めるつもりでした。

こんな大変な子を預けてまで
仕事をすることが、罪な気がしていたからです。

でも、姉に
「ひなちゃんだけの生活はノイローゼになるから
仕事はしたほうがいい」と言われて、
保育園を探すことにし、
職場も復帰を応援してくれました。

保育園探し

保育園探しは難関で、
成長が遅く弱々しいひなちゃんを
まともに受け入れてくれる保育園はなく、
職場近くの保育園まで範囲を拡大して探しました。

首の座らないまま身長が伸びていくひなちゃんを
無理やり立て抱きしたり横抱きして
大変な思いをして電車で連れて行っても、

看護師はいるけど、
薬は飲ませられないと言われたり、
けいれん時の座薬挿入などは出来ないと
言われたり…

あきらめそうになっていましたが、
「ネバーギブアップ!」と気合を入れて、
障がい児を見てくれるという保育園を見に行きました。

その当時の園長先生が、
「もう私は辞めるので見てあげられないけど、
きっと力になってくれると思う」と、
NPO法人で、
子育てサポートや病児保育など運営している保育園を紹介してくれました。

連絡をすると、
自宅まで相談員さんが来てくれて、
「誰かの役に立ちたい!
という思いで
やっています」と、とても心強い言葉をかけてくださり、

まずは自宅で看護師さんを派遣して
みてくれることになりました。

その後、ひなちゃんの成長につれて、
保育園の0歳児クラスにベッドをおいて
預かってくれるようになりました。

保育園は週3回、
療育センター(通園)は週2回通いながら、
仕事は平日3日と土日に行き、
夕方はパパや、平日1日はおばあちゃん、
訪問看護師さんにお世話になりながら
仕事を続けてこられました。

症状の急変

4歳になり、風邪もひかなくなってきて、
体調の良い日が続いていましたが、

突然の高熱と嘔吐、うんちに血が混じり、
救急を受診したら、
診察室で痙攣がとまらなくなり重積状態、
急性脳症と診断されました。

一時は生死をさまよい、透析が必要になるが、
障がいのある子の透析はできる施設も限られると言われ、自然な形で看取ることを決めた時もありましたが、

ひなちゃんは自分の力で復活!
しかし、気管内チューブは抜くことができなくなりました。

当時は気管切開、喉頭気管分離をするという選択に悩み、なかなか手術に踏み切ることが出来ず…

8か月もの間、新たな医ケアや障がいを
受け入れることが出来なくて悩み、

ひなちゃん ママ

ひなちゃんがかわいそう。生きてる意味がわからない…

ひなちゃん パパ

ママがそんなこと言ったら、ひなちゃんは本当にかわいそうになっちゃうよ…
じゃあ、ママは自分が生きてる意味がわかってる?

と、夫婦で何度も何度も話合って悩みましたが、
死んだらおしまい…
ひなちゃんと一緒におうちに帰ることが
ひなちゃんにとっての幸せだと気づき、

とても時間は掛かりましたが
前向きに気管切開をして
おうちに帰って来ることができました。

小さい頃は、笑うことがなかったのですが、
今では、学校や支援してくれる方々のおかげで毎日笑顔が見られるようになり、

何歳になっても成長することを
身をもって教えてくれています。

せっかく生まれてきたのだから、
『楽しく暮らして、
1日でも長くおうちで一緒にいようね』
と思っています。

おうちでの様子

学校での様子

ひなちゃんご家族

まとめ

医療的ケア児の我が子と向き立った時、
困難な課題に直面することが多々あります。
その時のご家族の精神的不安は、計り知れません。

だからこそ、子育てを一人でするのではなく
仕事をしたり、他の人に預けたり、
社会で医療的ケア児の子育てが
出来るようになれば、
家族の心の負担も軽減されるのではないでしょうか?

今後、医療的ケア児家族が孤立することのない社会がもっと広がることを願っています。

ひなちゃんは4月に高校生になりました!!

私もこのお話を聞いて、娘が小さい頃のことを思い返し、
改めてこれからの娘の生活を精一杯支えていこうと思いました。

Hinata様、貴重なお話しありがとうございました!!


ライター:tomoko

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YouTube「アンリーシュ日記」で、在宅での様子をご紹介してくださったり、
「アンリーシュWeb」ではHinata様がアンリーシュへの想いを語ってくださっています。
そちらも併せてご覧ください!

 

パートナーズインタビューHInata様

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