【娘の葬儀は、自宅で】私が亡くなった娘にしてあげた最後のこと

こんにちは。アンリーシュ代表の金澤裕香です。

私の娘は、2019年の11月に、6歳になったばかりで亡くなりました。

最後は都内にある自宅で葬儀を行い、家族だけで見送りました。

都市部ではあまり一般的ではない、家での家族葬。
私がなぜ自宅での葬儀を選択したのか。また、自宅での家族葬とはどんなものなのか。
それをみなさんにお伝えしたいと思います。

娘が亡くなり、その日のうちに葬儀が決まる

私の娘、菜生は、2019年11月3日の朝に亡くなりました。3ヶ月ほど入院し、最後は輸血を繰り返し壮絶な治療の末、息を引き取りました。

そして、亡くなった1時間後には病院と提携している葬儀屋さんが来ました。

娘はICUに入院していたので、葬儀屋さんもICUに来てくれたのを覚えています。

ICU内の家族室で、義理の両親、主人、私、葬儀屋さんの5人で葬儀についての話し合いが始まりました。

その時、私の両親は話し合いに参加せず、娘のそばにいました。

最後のICUの様子

葬儀屋さんが提示したのはいわゆる一般的な葬儀のパッケージプランで、

  • 葬儀会場は50人規模と100人規模の部屋のどちらかを選ぶ
  • 本葬の日は葬儀を行って火葬場に行き、お骨を拾って戻る
  • お通夜、初七日などを行う場合は追加料金

などの、だいたいの流れが説明されました。

選べるのは宗派と会場の大きさぐらいで、その他は特に選択の余地はありませんでした。

料金は、本葬と霊柩車の手配のみの一番安い状態で、60万円ぐらいです。(ここに色々追加していくと、追加料金がかかる仕組みです)

さらに、火葬場では別途火葬の代金がかかると教えられました。

私は、話を聞いていて、まず60万円という料金が高いと思ったし、そもそも50人も人を呼ぼうなんて思っていませんでした。でも、部屋は2つしかなく、それより小さい部屋はないと言われました。

私はなんとなく家族葬がいいなと思っていたので、そのようなプランはないか聞いてみましたが、ないと言われました。

話は、主人の両親が主体となって進めてくれていました。

娘が亡くなった直後で、私を含む全員がすごく疲れていたし、精神的にも辛い状態で、必然的に「それでいいです」という感じになりました。

その時点では誰かが疑問を口にしたり、また希望を伝えたりする余地はなかったのです。

ひとりで家族葬について調べ始める

話し合いは終わり、葬儀の宗派や内容も決まり、葬儀屋さんは帰りました。

翌日の夜にもう1度書類を持って来てくれて、そこで本契約となるようでした。(葬儀の打ち合わせというのは大体こういう形で進むようです)

私はずっと、やっぱり家族葬がいいなと思っていて、葬儀屋さんが帰った後すぐにネットで家族葬について調べ始めました。病院の廊下で、ひとりで、家族はみんな菜生との別れを悲しんでいる中で。

それは、私は、菜生には「菜生らしい」、菜生にふさわしい形の葬儀があると思ったし、何より菜生を家に連れて帰りたかったのです。

葬儀屋さんのプランでは、菜生を家に連れて帰ることはできず、病院からそのまま葬儀場へ連れて行ってしまうとのことだったのです。

菜生は解剖のオペがあったので1度病院の霊安室に行きましたが、もし解剖がなければ、亡くなった後そのまま葬儀場へ行ってしまうと。

私は、菜生は治療をすごくがんばっていたから、最後おうちに帰りたいんじゃないかと思っていました。おうちに帰って、家族みんなでご飯を食べる、そういう時間のために治療をがんばっていたんじゃないかと。

だから、最後は絶対におうちに連れて帰ってあげたいな、と思っていたのです。

菜生が過ごしていたベビーベッド

家族葬ができる葬儀屋さんを見つけ、打ち合わせ

ネットで色々探して、10人未満で家で葬儀ができる会社を見つけました。

主人にも話し、すぐに電話して、翌日の午前中には家に来てもらって打ち合わせをしました。

(実は、「東京で自宅で家族葬ができる葬儀社」を2社見つけていたのですが、もう片方は、「自宅での家族葬の後に、一度ホールに行かなければいけない」と言われたのでやめました)

新しい葬儀屋さんはとても良くて、私たちの状況を把握してくれ、菜生をおうちに連れて帰るだけでなく、葬儀までの間にお別れの時間も作ることができると提案してくれました。

季節や気温によっても違うようですが、菜生の場合は、1週間ほど葬儀を先にしても(おうちに菜生といても)大丈夫と言われました。

その1週間ほどの間に、お別れに来てくれる人には好きな時に来てもらえるし、最後の葬儀は家族のみで行えるとのことでした。

私はここなら菜生ちゃんらしい葬儀にしてもらえると思い、この葬儀屋さんにお願いすることにしました。料金も20万円ぐらいになりました。

娘との大切な時間を作れた

解剖が終わった菜生はおうちに帰って来ることができました。

おうちでの菜生の定位置だったベビーベッドに寝かせて、周りを可愛く飾り付けました。

葬儀までの1週間は、葬儀屋さんが毎日ドライアイスを替えに来てくれました。

おかげで菜生はきれいなままで1週間過ごすことができ、家族で最後のあたたかい時間を過ごすことができました。

 

その1週間で、30人ぐらいの人がお別れに来てくれました。

基本的にはとても嬉しかったのですが、1日に何度も菜生の亡くなった時や病状の話をする必要があり、それがしんどい時もありました。

でも、生前菜生をお世話してくれた保育士さんや看護師さんたちと、「菜生ちゃんてこんな遊びが好きだったよね」「菜生ちゃんてママが大好きだったよね」などの、娘が元気だった頃の話がたくさんできて、それがとても嬉しかったです。

菜生は最後は何ヶ月も病院という非日常の中にいたから、おうちに連れて帰れて、菜生が大好きだった人たちに会わせてあげられたのは、最後に母親としての仕事がひとつできた気がしました。

なので、お別れに来てくれた人にはとても感謝しています。

実は私は、その時期ストレスで重度の胃潰瘍になっていて、激痛で立ち上がるのも辛いほどでした。

なので、おうちで朝からゆっくり過ごして、人が来た時だけ対応すれば良かったのはとても助かりました。葬儀場に出向いて同じことをするのは厳しかったと思います。

1週間後に葬儀 無事に全てが終わる

お焼香のための香炉やお鈴、またそれらをセットする組み立て式の棚などは、葬儀の数日前に送られて来ました。

また、葬儀までに棺桶についての話し合いがありました。

子供用の棺桶というものがあり、菜生ちゃんの身長を考えるとこのくらいの大きさが普通だけど、一緒に入れてあげたいものがたくさんあるならもう少し大きいものもありますよ、などと提案してくれました。

おかげで私たちは、家族で、菜生の棺桶に何をどれくらい入れてあげるのか、事前に話し合うことができました。

 

葬儀の当日は、お坊さんが我が家に来てくれて、供養をしてくれました。

お葬式の最中も、菜生をベビーベッドに寝かせておいてあげることができ、私はそれが本当に嬉しかったのを覚えています。

そして、菜生と私と主人が霊柩車に乗り、残りの家族はタクシーで火葬場に向かいました。

骨壷は、自分で好きなのを用意してもいいし、火葬場にあるやつを使ってもいいと事前に言われていました。私たちは、お墓はしばらく作らず、家にお骨を置いておくことになっていたので、小さくてシンプルな骨壷を用意しました。

火葬が終わり、私の手元には、菜生のお骨が入った小さな骨壷と、火葬証明だけが残りました。

話しにくいけど、少しでも家族で話し合っておいてほしい

みなさんには、大切なひとの「葬儀について」、少しだけでも家族と話し合ったり、調べておいてほしいと思います。

とても話しにくい話題ではありますが、例えば家族葬なのか、お通夜をするのか、人をどのくらい呼ぶのかとか、それぐらいは決めておくと良いです。

葬儀屋さんが初めて来るのは、大切な人が亡くなった直後です。

病院なので看護師や医者がバタバタしていますし、まずは親族のみで打ち合わせをしたくても、そんな状況ではなく、時間もありません。

葬儀の形や、お金に関してもう少し話し合いたいと思っても、葬儀屋さんを交えた打ち合わせの場では、なかなかそれも難しい雰囲気なのです。

「その人らしい」葬儀を

私は、家での家族葬という形を選択して本当に良かったと思っています。

葬儀の直前に、私は娘に宛ててお手紙を書きました。

亡くなった娘と、実体はない娘と、どうやって自分は生きていくのか。最後に菜生とおうちで過ごした1週間は、それを考える大切な時間だったと感じています。

(お手紙はこちらの動画で公開されています↓)

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