こんにちは、あいちゃんママです。
娘(あいちゃん)は37週で緊急帝王切開で生まれました。
妊娠初期から出血があったり切迫早産で入院したりと大変な妊婦生活で、出生体重も小さめでしたが、元気に産声をあげてくれました。
現在、あいちゃんは、体に複数の疾患や軽度知的障害などがあり、医療的ケアが必要ですが、歩ける、おしゃべりができる活発な女の子です。
目次
経管栄養から胃ろうへ
あいちゃんは、生後すぐから原因不明の哺乳不良がありました。母乳も哺乳瓶も上手に飲めず、飲んでは嘔吐を繰り返していました。
4ヶ月の時に、体重減少・甲状腺の値が低いため、経管栄養のチューブを入れました。
何度か入院もし、3歳の時に胃ろうを造設。
リハビリに通ったかいもあって、経口摂取も日によって量は違いますが出来るようになりました。
しかし、経口摂取だけでは栄養が足りず、体調を崩すと水分も摂取できなくなってしまうため、経口摂取にプラスして、胃ろうから栄養剤やペースト食を1日3回注入して生活するようになりました。
その後、娘は5歳の時に遺伝子の疾患と診断されました。
保育園に入るために胃ろうを造設
娘が胃ろうにした理由の一つが、娘が3歳の時に、
「4歳から保育園へ入れよう!娘が外の世界を沢山見るために私たち以外の人にもケアを手伝ってもらおう!家以外にも娘の居場所を作っていこう!」
と思い、病院の医師に保育園の入園について相談したことがきっかけでした。
そこで問題となったのが経管(鼻チューブ)問題。
私たちが住んでいた地域の私立保育園は、医療的ケアがあるので入園は難しいと断られ、公立の保育園に入園するしか選択肢がありませんでした。
- 鼻から出ているチューブが、お友だちと引っかかって抜けてしまわないか。
- 見た目でお友だちにどう思われるか。
- 嘔吐が多い娘。保育園で嘔吐を繰り返してしまっても通えるのか。
など、不安要素はいっぱい。
そこで医師から提案されたのが胃ろうの造設でした。
- 嘔吐しやすい胃の形をしている娘。胃・食道逆流症もあり、もしかしたら鼻のチューブで食道が刺激されて嘔吐が多いのではないか。
- 自力でガスや便が出せない娘。腸が膨れて胃を圧迫し、嘔吐が多いのではないか。
- 胃ろうにすれば、チューブによる食道の刺激やお友だちとひっかかる事もなくなるのではないか。
- 胃ろうで胃の位置が固定され、ペースト注入ができるようになれば、胃の中に重みも入り逆流や嘔吐も減るのではないか。
などが提案理由でした。
週に1回は嘔吐していたあいちゃん。
胃ろうにして嘔吐が減るなら…チューブを気にしないでお友だちと遊べるなら…と、胃ろうの手術を受けることにしたのです。
保育園の入園に向けて…注入をめぐっての話し合い
娘の入園に向けての準備は早めに始めましたが、市や保育園との話し合いは思っていた以上に大変でした。
特に大変だったのが、胃ろうからの栄養剤の注入についてです。
あいちゃんは、1日3回、胃ろうからペースト食と栄養剤を注入していました。
なので保育園にいる間は、園にいる看護師さんに栄養剤を注入してもらうことになります。
そのためには、医師の指示書が必要でした。
普段、私たちが娘に注入するときは、医師の指示書、また娘の体調によって注入量を調整しながら入れるよう指示されています。
ですが、市や保育園との話し合いの時は、医療的ケアの知識がない人が決められたルールの中で話し合いをするので、
「あいまいな量の記載ではダメ。書き直してほしい」
「毎日決められた量を看護師さんは注入しないといけない。変な言い方だと吐いても注入しないといけない。指示書通りに注入しないといけない」
などと言われて衝撃的でした。
私たち家族は、医療的ケア(栄養注入)を普通に娘の食事として考え、胃残が多い日は、
「今日は消化が悪そうだから栄養剤を少なくしよう。脱水にならないように水分は多めで栄養剤を薄めて注入しよう」
など日によって調整し、毎日を過ごしています。
ですが、話し合いをしていた中で、栄養注入は食事という解釈ではないのだな。と思いました。
結局、娘は経口摂取もできるからと指示書をもらうことすらできず、娘の体調を維持するためには、家庭で注入回数を増やしたりしてなんとか生活しました。
(園生活の中では、低血糖ぎみになったり、水分不足で高体温になったりという事が数回ありました)
栄養注入に対する考え方の違いに疲れ、転園を決意
これまで、「栄養剤は、あいちゃんのご飯」ときょうだいたちにも伝えてきました。
しかし、保育園へ入園してみて、周りの栄養注入に対しての考え方が自分たちと違うと感じ始めてから、私たち夫婦はとても疲れていました。
ある日、注入用のペーストを作っていた時に主人が、「あいちゃんの注入をするのが、なんだかしんどい」と言い出しました。
私も、毎日の食事のことなのに、何で保育園と話し合うとこんなに壁を感じるのだろう…と精神的に辛くなっていました。
そんな気持ちで娘に栄養注入はしたくない!と夫婦で話し合い、娘のケアは自分たちがしようと保育園の転園を決意。(私たちは夫婦で保育施設で働いていました)
転園し、娘が年長さんの1年間は、仕事をしながら夫婦で娘のケアをしました。
支援学校に入るかどうかの選択
それと同時に、住んでいた地域で小学校探しも始めました。
そしてわかったことは、その地域では娘は支援学校への入学という選択しかないと言うこと。
支援学校へ見学にも行き、医療的ケアや学習の事など沢山聞いて調べました。
その結果、ケアや体調管理の体制はしっかりしていて、安心して預けられると思いました。
しかし、おしゃべりや運動が大好きな娘。たくさんのお友だちを作って欲しい。
できる事をたくさん増やして、将来の選択肢を増やしてあげたい。
支援学校ではそれができないかもしれない。
見学から帰って、医療や福祉、娘や兄たち、自分たちの将来の事を考え話し合い、娘の小学校入学を機に他県へ引っ越すことに決めました。
小学校に通うようになったあいちゃん
現在、あいちゃんは地域の小学校に支援学級(病弱学級)を新設していただき入学。
コロナウイルスの影響もあり、母(私)が終日付き添いで通学。医療ケアをしています。
今後は給食前のエア抜きと、給食後の栄養剤注入を看護師さんにお手伝いいただき、少しずつ母子分離していけたらと思っています。
医療的ケアのある子を育てていくこと
娘を育てていくうえで、沢山の病気と戦っているお子さんやご家族と出会いました。
1人として同じ症状の子どもはおらず、みなさんお子さんの状態を見ながら、周りの人に助けていただきながら生活をされていました。
医療的ケアをしていると、外に出られる時間も限られています。
ケアを始めたての頃は不安や子どもの体調変化で、夜もなかなか寝られませんでした。
個々に合わせた福祉や、知識のある人がいる専門の相談窓口、気軽に医療的ケアの事を話せる場所がもっとあるといいなと思います。
そういう場所を教えていただけたらそれもありがたいです。
これから娘と同じような、歩ける、おしゃべりができる医療的ケアの子どもたちが増えてくると思います。
そんな子どもたちや家族が、日々をもっと笑顔で過ごせるようになれば良いな。と思います。
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