医療的ケアがある子どもたちとの生活に欠かせない、心強いサポーター「訪問看護師」。
ただ日常ではなかなか馴染みがないお仕事でもあるため
「どんな人たちなんだろう?」
「何だか近寄りがたい…」
というご家族からの声も聞こえてきます。
そこで、今日はある訪問看護師さんのストーリーに迫ります!
目次
人の役に立つことが大好きだった幼少期
神奈川県生まれ千葉県育ちの村田実稔(むらたみのる)と申します。
千葉県の田舎で幼少期から高校生まで生活をしていたため、自然が大好きです。
私は、小さな頃から人の役に立つことをする事が好きで、人のためと思うとついつい凝ったことをやってしまいます。悪く言うとお節介です。
小学生の頃からバスケが好きで今でも週末はダイエットの意味も込めて行ってます。観るのも好きです。
病気・障害と闘いつつも元気な弟たち
私は3人兄弟の次男です。喘息で家にいがちな2歳上の兄、色々な障害と闘いつつも元気にやっている4歳下の弟との間で生活してきました。
弟は総肺静脈還流異常症という心臓の病気をもって生まれました。
なんとか手術は成功し、普通に過ごしていたのですが、ある時から言葉の遅れが指摘され始めました。
小学一年生までは家の近くの小学校、小学2年生からは隣の学区にある、要支援学級のある小学校に通うことになりました。
要支援学級に通いはじめると今度は腎臓の働きを指摘され、IgA腎症が指摘されます。
そこから小学生の間のほとんどは病院生活、たまに自宅退院するも徹底的なタンパク質や塩分、カロリー管理がされます。
この時の弟に対し「なんで弟ばかりが悪い思いするんだ」と感じたことは今でも覚えております。
看護師目指したきっかけ
中学1年生の時に看護師を志し、現在看護師4年目です。
看護師を目指したきっかけは中学生時代の入院です。
中学に入学し1週間たったあたりで突如40℃の発熱と倦怠感に襲われました。
すぐにクリニック受診をし、近くの大学病院にて精密検査を行いました。結果化膿性関節炎という病気で、左股関節と右膝に溜まっている膿を排出するため、手術しなければなりませんでした。
はじめての入院、はじめての手術とドキドキだったこと、発熱もあるため個室で心細かったのは今でも覚えてます。そんな不安感が強い私に、とても親切に関わってくれた男性看護師さんがいました。
私は中学生ながら「将来はこんな頼りになる人になりたい。私みたいな人に将来夢を与えることができるような人になりたい」と感じ看護師になるということが夢となりました。
看護師になってみて 成育PICU時代のこと
中学生の時の夢を追いかけ看護大学を卒業し、成育医療センターに入職し2年間看護師業務に従事します。
大学病院にエスカレーター式で就職するという選択肢もありましたが、「どうせ学ぶなら一番学べるところに行きたい!」と考え、国で一番大きい小児病院に就職することとしました。
私は元々内科志望でしたが配属先はPICUでした。
この職場はとてもハードでその時の様子は今でも夢に出てくることがあります…。
全国各地から時には海外から重症な子供たちが病院にやってくるため、学ぶべき知識や技術がたくさんありました。
病棟にいた医師は「ここで学べる看護の1年は他の所の3年分」とおっしゃっており、ほんとにその通りだったのではないかと今では思います。
子どもたちの退院後が気になって…
PICU病棟での毎日食らいついていく中で「気管切開等、医療的ケアを残して自宅に帰る子供が今後どのように生活していくのだろうか」と思うことが増え、徐々に在宅における子供の様子に興味を持つようになりました。
病棟経験2年で訪問看護を行うのは早すぎると周りに言われましたが、それを押し切ってでもやってみたいことだったので転職を決意しました。
そして念願の訪問看護師として働き始めると病棟看護師とのギャップがあり初めのうちは戸惑うこともたくさんありました。
訪問看護は病棟での看護に比べて明らかに看護師による裁量権が多くやりやすい反面、近くに医師や先輩はいないため責任が重大です。
それでもなんとか業務を覚えながら、今でも続けることができてます。
訪問看護をはじめ在宅で子供と関わった時にまず思ったことは「みんな元気で表情が良い!」ということでした。
よほど病院という環境は子供達に対してストレスを与えているのだろうと感じました。
アンリーシュを通して伝えていきたいこと
医療的ケア児を抱える家族にどんなサービスがあるのか伝えたい
訪問看護師として何人もの医療的ケア児と関わっていったある時、「家族ごとに持っている情報に関して差がある」という課題を見つけました。
ママ同士でコミュニティを作って情報共有をしている地域もあれば、ママ同士が完全に孤立してしまっている地域もあります。
私はみんなが平等に情報を共有ができ、それぞれの家族の生活がより豊かになればいいのになと感じました。
そのため、アンリーシュを見ればどのご家庭でも平等に情報を得ることができるよう、有益な情報に関して発信を行なっていきたいと考えております。
障害を個性と捉えることができる社会にしたい
私は障害を持つ弟と生活していく中で、ある種の差別的な視線を感じたことが何度もあります。
家族である私でさえその視線に気づくため、弟は生きづらさを感じていたこともあるでしょう。
ある時弟から「僕は普通じゃないからね」と言われた時はとてもショックでした。
生まれながらに障害があるという事実に対してなぜ生きづらさを感じなければならないのでしょうか。
私はこの経験から、障害を持つ人々の生きづらさを少しでも軽減させることができるようにしていきたいと考えるようになりました。
障害を持つ人々の生きづらさを軽減させるために、まずは周囲の人々が「障害とは何か」を知る必要だと私は考えております。
そのためアンリーシュでの発信を通して、医療的ケア児を抱える家族だけでなく、今まで障害とは無縁だったような人にも情報を届けたいと考えてます。
私はそもそも障害という言葉が好きではないです。障害を個性と捉え差別のない共生社会を作っていきたいです。
まずはその活動の第一歩としてアンリーシュでの発信をしていきたいと考えております。
私はこの場では主に看護師視点での子供の観察の仕方の発信や、育児負担が軽減できるようなサービスに関しての発信などをしていこうと考えてます。
また、将来的には医療的ケア児同士やその家族同士の交流の場を作っていきたいと考えてます。
長くなりましたが、どうぞよろしくお願いいたします。