【医療的ケア児支援法を解説!】法案内容や今後の課題について、署名活動への想い

はじめまして。医療的ケア児支援法の成立を希望する会の錦織央子(にしごりひさこ)です(写真の右から2番目)。

医療的ケア児支援法の成立を希望する会のメンバーとWingsの本郷さん

私には5歳の長男と3歳の長女がいます。長女が元医療的ケア児で、今年の3月に気管切開を卒業しました。

支援法の存在を知って感動し、勉強会を開いたことをきっかけに仲間と出会い、署名活動を行いました。約1か月間で集まった署名数は、26,574名。様々なメディアでも取り上げていただきました。拡散にご協力いただいた皆さんに心から感謝しています。

今回の記事では、先日2021年6月11日に成立した支援法の目的、内容、経緯、今後の課題、署名活動にチャレンジした理由についてお伝えします。

「医療的ケア児支援法」とは

「医療的ケア児及びその家族に対する支援に関する法律(医療的ケア児支援法)」は、2021年6月11日に可決され、同9月18日から施行される法律です。

「医療的ケア児支援法」の目的は?

医療的ケア児支援法は、医療的ケア児の健やかな成長を図るとともに、その家族の離職を防止する目的で作られました。

医療的ケア児本人はもちろん、家族にも着目されている点が大きなポイントです。当事者家族だけでなく、これから子どもを産み育てる方にとっても大切な法律と言えるでしょう。

「医療的ケア児支援法」の施行で具体的に何が変わるの?

医療的ケア児への支援が、努力義務から責務へ

この法律が施行されることにより、これまで「努力義務」とされてきた国および地方自治体の医療的ケア児への支援が、「責務」に変わります。

また、本法律の施行に伴い、各自治体に地方交付税として医療的ケア児支援のための予算も配分される予定です。(法案成立に寄与した荒井聰議員いわく、成立前から予算も考慮されている法律は議員立法では極めて珍しいとのこと。一般的な内閣提出法案は予算が考慮されている)

各自治体が予算を持つことにより、責任を伴って医療的ケア児支援事業を進めていくことで、これまで地域によって格差のあった支援体制の是正が期待されます。

施設に応じて看護師などの医療的ケアを行える人員が配置される

これまで、「預かってくれる保育園が地域にない」「子どもが通学する際に学校から付き添いを求められる」といった理由で就労を諦める保護者もたくさんいました。

法律の施行に伴い、各自治体は、医療的ケア児とその家族が希望する施設に通えるように支援体制を拡充していく必要があります。

具体的には、各自治体は、施設に応じて看護師やたんの吸引等を行うことができる保育士、介護福祉士等の配置を行うことを求められています。

※認定NPO法人フローレンスHPより引用

「医療的ケア児支援センター」が設立され、家族の困りごとに対応

また、これまでは、何か困りごとがあって相談したいと思っても、関連する課をたらい回しにされる方も多かったと思います。(私も小児訪問看護ステーションを探すときに苦労しました・・・)

医療的ケア児支援センターが設立されることにより、医療的ケア児とその家族の悩みごとに対してワンストップで(様々なサービスを一括で)対応できるようになります。

※認定NPO法人フローレンスHPより引用

「医療的ケア児支援法」成立までの道のり

支援拡充検討のきっかけ

医療的ケア児の支援拡充の検討が始まったのは、2015年に荒井聰議員が認定NPO法人フローレンスの障害児保育園ヘレン視察したことがきっかけです。

野田聖子議員がヘレンに息子の真輝君を預けていること、ヘレンに預ける前までは私費で看護師を雇いながら苦労して子育てしてきたことを知り、荒井議員は野田議員に声をかけ、支援に向けて動いていくことを決めます。

そうして始まった永田町子ども未来会議超党派の国会議員や厚生労働省や文部科学省などの官僚、医療関係者、福祉事業者、当事者団体が集まり、医療的ケア児の支援に必要な施策や制度を検討する勉強会です。

そこから報酬改定や法整備の試行錯誤が始まります。

6年間に渡り徐々に医療的ケア児への支援を拡充

永田町子ども未来会議の活動により、2016年に児童福祉法の改正案が成立し、法律の中に医療的ケア児に関する文言が初めて明記されました。

しかし、支援があくまでも努力義務規定の記載にとどまったため、自治体の取り組み姿勢によってサービスに差が出ることが懸念されていました。

また、障害児の預かりを拡充を目指して、2018年の障害福祉サービス報酬改定に大きな期待が寄せられましたが、医療的ケア児の預け先が拡大するには程遠い改定内容でした。

預かり先の事業所が増えるような報酬改定を実現し、各自治体に予算をつけて保育園や学校の看護師の配置や支援センター設置などの支援を拡充していくためには、厚生労働省・文部科学省・総務省の力を結集して前に進めていく法律の必要性が明らかになりました。

そこで、永田町子どもみらい会議で議員立法として医療的ケア児支援法案の検討が始まりました。法律を整備する中で様々な苦労があったようです。

そして、2021年1月からの通常国会に「医療的ケア児支援法」が提出され、2021年6月に成立しました。

また、2021年4月に障害福祉サービス等報酬の改定もあり、通所施設などで医療的ケア児の受け入れを評価する「医療的ケア児の新判定基準」が実現しました。医療的ケア児の安全な預かり体制を整えられる報酬体系に向けた、大きな一歩です。

法案成立後も残る課題とは?

長い年月をかけてここまでようやく来ましたが、一方でまだたくさんの課題があります。

医療的ケア「者」の支援は含まれない

医療的ケア児支援法には、医療的ケア者(高校を卒業した18歳以上の元医療的ケア児)を含めることができませんでした。

 先日の永田町子ども未来会議事務局長の加藤千穂さんのYoutubeライブでも、

「今の現状ではまだ医療的ケア者の定義もないし、成人後に様々な要因で医療的ケアが必要になる方がいる。定義もなく範囲も絞れない方々を全て今回の方に対象にすることは、議員立法で財源の伴うものにするためには難しかった。」

とコメントがありました。

今後、「医療的ケア者」を法律用語として定義するとともに、調査により実態を把握して必要な支援体制を検討することが必要です。その結果を踏まえて、3年に一度の福祉の報酬改定や本法律の見直しに反映させていく必要があります。

看護師不足

看護師不足をどのように解消していくかも課題の一つです。

施設などへの、看護師など医療的ケアができる人員の配置が自治体の責務になったのはいいことですが、予算はあっても看護師が見つけられないから配置できないという施設も少なからずあります。

コロナ禍で看護師がさらに不足する中、医療的ケアの担い手を拡大していくこと、豊中市などの先進事例を参考にしながら機能する形を模索していくことが大切です。

放課後デイサービス(学童保育)不足

また本法律でカバーできていないのは、医療的ケア児の学童保育の不足です。

小学校以降の医療的ケア児の両親の就労を支えるために、今後も訴えて改善していく必要があります。

法案成立に向けた署名活動への想い

支援法は「声を上げていい、世の中は変えられる」というメッセージ

初めてこの法律のことを知ったのは、世田谷区の荒井聰議員が主催した勉強会でした。

医療的ケア児と家族のことを支えるための法律が作られている。しかも党派を超えて…!

勉強会を聞いている間、涙が止まりませんでした。

娘が医療的ケアを卒業するまでの3年半、苦しいこと・悲しいことが山のようにありました。

生後8か月で在宅生活スタートして、3日後に脈が200を超えて病院に救急車でとんぼ帰り。

人工呼吸器をつけている娘との、家から一歩も出られない生活。

呼吸器のアラームに何度も起こされて、寝ることすらままならない日々。

そんな苦しい時間を「障がい児を産んだのだから当たり前、仕方ない」と思って過ごしてきました。

でもこの法律を知った時、私は、声を上げて、苦しい、誰か助けてと言っていい、それは許されることなんだ、と初めて思いました。そして志のある人たちが集まれば、法律だって変えることができる。

それは強烈なメッセージで、私の心の中で何かが爆発したような弾けたような瞬間でした。いてもたってもいられず、Instagramで法律の勉強会を呼びかけました。

勉強会を通じて出会った方や、Wingsの本郷さんがつないでくれたママたちと法律の内容を拡散しているうちに、署名活動につながっていきました。

Pay it Forward.  署名活動の原動力は、今まで支えてくれた人たちへの感謝

署名活動の原動力になっていたのは、娘をここまで育てるのにたくさんの愛情をくれた人たちの存在です。

「娘を育てる中で苦しいこと・悲しいことが山のようにあった」と書きましたが、その一方で人の温かさに触れることも本当に多く、沢山の方に助けられた3年半でした。

娘の成長の一つひとつを喜び、「気管切開を必ず外してあげたい」と言ってずっと見守ってくれた主治医。

入院時に娘のベッドから離れない私に「代わりに見てるからお昼食べておいで」と言ってくれた看護師さん。

娘が在宅生活がスタートするときにお兄ちゃんを日中預ける保育園を探していたら、「全ての面接が終わったら、必ず1番にご連絡します」と言ってくれた園長先生。

肺が弱すぎること・ごはんを食べないこと・声が出ないことを心配する私にずっと寄り添って励まし続けてくれた訪問看護師さん。

私たちの生活を1番に考えて、娘の命をともに支えてくれた往診の先生。

呼吸が苦しくなった時「今度はどうしたの?大丈夫?」と薬を届けてくれた薬剤師さん。

私が家から出られないことを見かねてお菓子やパンを買ってきてくれた友達。

皆さんからかけがえのない無償の愛情を数えきれないほどいただきました。

Pay it Forward.  今度は私の番です。

思い立って新卒から務めていた企業をやめ、障がい児保育・支援などを行うNPO法人に転職しました。

自分にできることに挑戦しながら、仲間と一緒に前に進んでいきたいと思います。

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