【活動報告会 第1部 内容まとめ】「Thanks & 2021チャレンジ!」レポート

こんにちは、なおこです。

今日は、2021年4月に行われた活動報告会の内容を、記事にしてお伝えします。こちらは第1部の内容になります!

動画も見たけど改めて記事を読んでみたい方、動画より記事の方が見やすいよーっていう方、ぜひお読み下さいね!

活動報告会 概要

【第1回アンリーシュ活動報告会 「Thanks & 2021チャレンジ!」】

2021年4月25日(日)  14:00〜16:00

アンリーシュ公式YouTubeチャンネルにてオンライン配信

  • 第1部 14:00〜「医療的ケア児の歴史と、アンリーシュ活動報告」
  • 第2部 14:30〜 医療的ケア児ママをゲストに迎え、医療的ケア児の就学問題と、ママの就労問題(いわゆる小1の壁)についてディスカッション

動画のアーカイブはこちら。

第1部動画↓

第2部動画↓

第1部 「医療的ケア児の歴史と、アンリーシュ活動報告」

今回の活動報告会、第1部タイトルは「医療的ケア児の歴史と、アンリーシュ活動報告」

医療的ケア児の歴史を学びながら、改めてアンリーシュ誕生のきっかけや、2年間の活動をご報告しました。

それでは内容を振り返っていきましょう!

時系列に沿って進めていきますよ〜

1990年1月 日本で初めて「医療的ケア」という言葉が使われた!

みなさんは、日本で初めて「医療的ケア」という言葉が使われたのはいつ頃なのか知っていますか?

いつ、誰が使ったのが最初なんだろう?

これは、実はちゃんと記録が残っていて、1990年1月24日、大阪の茨木養護学校の松本嘉一校長が「全国肢体不自由養護学校会」で使用したのが最初だと言われています。

「医療行為」は、医療者しか行うことができません。ですが、「医療的ケア」は自宅でご家族も行いますよね。

なので、医療行為と分けるため、「医療 ”的” ケア」という、なんとも曖昧な言葉ができたのです。

【参照】

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2010年頃? 日本で初めて、医療的ケア児がおうちに帰る

これは正確に記録が残っているわけではありませんが、2010年頃の出来事なのでは?と推測。それまで、人工呼吸器などの医療機器が必要な子どもは、ずっと入院しているのが当たり前でした。

そんな子どもたちが、医療の進歩とともに、医療的ケアがあってもおうちに帰れるようになったのです。ですが、今まで「おうちで人工呼吸器をつけたお子さんと暮らした」などの例がなかったので、多くの課題が噴出。

  • 親が24時間医療的ケアを担うため、ほとんど寝ることができない
  • 医療的ケア児への支援体制が整っておらず、助けてくれる人もいない
  • 情報が圧倒的に不足しており、どうしていいか誰もわからない

などなど、初期のご家族は本当に大変な思いで育児だったことでしょう。

アンリーシュも、この「在宅に移行した医療的ケア児と家族」の困りごとを解決するために生まれたのです。

2013年 なおちゃん誕生

そんな中、アンリーシュ代表の金澤裕香の第一子として菜生ちゃんが誕生。

菜生ちゃんは、生まれた時は異常は見つかりませんでした。

初めての子育てを楽しんでいた金澤家で、徐々に「あれ?おかしいな??」と思うことがふえてきたのは3ヶ月後ぐらいのことだったそうです。

2014年 金澤裕香 3年間付き添い入院をする

特に深刻だったのは、なおちゃんがミルクを中々飲まないこと。

病院や授乳指導に相談に行くも、「個性」の一言で片付けられ、「そういう子だからママ頑張って」と言われていたそうです。

当時はなんと、1回の授乳90分を30分ごとに繰り返すという異常なスタイルで生活していたそう…!

1日のほとんどが授乳で終わっていくね…

そして、なおちゃんは生後3ヶ月の時に、初めて入院するのです。

2016年 金澤裕香 保育園が見つからず仕事を辞める

育休期間に付き添い入院を続けていた金澤。

子育てが落ち着いたらまた仕事に戻りたいと思っていましたが、病気が分かって入退院を繰り返しているなおちゃんを受け入れてくれる保育園がなかなかありませんでした。

地域の保育園を30園くらいリストアップして、電話をかけて面談をして…と保活を頑張っていたそうですが、20数園めで心が折れ、断念。

それは心折れるよね…

暗い小児病棟の廊下で、会社に「退職させてください」と電話をかけた時の気持ちは今でも覚えているそう。

アンリーシュは、この時の金澤の体験が、設立の大きなきっかけとなっているのです。

2016年 日本の法律に初めて「医療的ケア」の文字が入る

そんな中、医療的ケア児がおうちに帰れるようになって数年が経っていました。ですがそこには多くの課題があったのです。

その課題を少しずつ解決しようと、国も動き始めます。

2016年、医療的ケア児にとって大きな意味を持つ「改正障害者総合支援法」が成立し、そこに日本の法律で初めて「医療的ケア」という言葉が記載されたのです。

とても重要な出来事だったよ!

この年に初めて、「国として医療的ケア児の支援をする」ことが決まったんですね。

2019年4月 アンリーシュ誕生

そして、2019年の4月23日にアンリーシュは誕生しました。

厳密に言うと、この日はアンリーシュがNPO法人として登記された日。活動そのものは、2018年の末ごろからスタートしていましたよ!

2019年7月 伝説の動画、「ナイトルーティン」UP

アンリーシュが誕生して程なく、アンリーシュの公式YouTubeで最も再生されている動画「ナイトルーティン」がUPされます。

2021年5月現在、この動画は108万再生を突破。アンリーシュの動画で100万再生を超えているのはこの動画だけなのです!

私(なおこ)も大好きで、今でも時々見て可愛いなおちゃんに癒されています。

2019年11月 なおちゃん、亡くなる

ナイトルーティーン動画が上がってすぐぐらいになおちゃんは入院して、3ヶ月後ぐらいにそのまま亡くなってしまいました。

同時に金澤も入院して体調を大幅に崩し、休養期間に。

他のメンバーでメディアや動画を更新しながら、復帰を待ちました。アンリーシュ存続の危機。

2019年12月 アンリーシュフレンズ始まる

実はそんな中、初めての「アンリーシュフレンズ動画」が上がります!

最初のアンリーシュフレンズは、活動報告会の2部にも登場してくれた「ななみちゃん」で、胃ろうの注入の動画でした!

その後、アンリーシュフレンズは、YouTubeの超人気企画になり、今では「うちの子も出してください」とオファーがたくさん来るように!

2020年5月 初の家族イラスト企画

今ではアンリーシュを代表する企画の「家族イラスト企画」。一番最初は、2020年の5月でした。

イラストレーターのみさきちさんに協力して頂き、3組の方にイラストをお渡ししました!

✳︎募集終了✳︎【Instagram限定企画】家族写真が撮れない方の家族写真のイラスト描きます!

2020年9月 作文コンテスト開催

この頃から、アンリーシュはメディアの更新だけではなく、様々な企画を行うようになりました。

作文コンテストはアンリーシュ初の大型企画で、初めてのクラウドファンディングにも挑戦し、なんと100万円以上ものご支援を頂きました!

素晴らしい作品が85作も集まり、今も特設サイトで公開されています。

作文コンテスト特設サイトはこちら

2020年11月 小池都知事に会う

「医療的ケア児の親の就労問題についての要望書」を、医療的ケア児支援の活動をしているいくつかの団体で都知事に提出しました。

医療的ケア児を持つ保護者の就労継続に関する要望書を小池百合子知事に提出しました!

医療的ケア児の母親は、働くことが本当に難しい現状があります。理由はいくつかあり、

✅入学後3ヶ月の付き添い通学
✅医療的ケアがあると通園のバスに乗れないことがある
✅放課後預かってくれる場所がない

など、親が面倒を見ることが前提となってしまっているのです。

2021年。アンリーシュは就学・就労問題に取り組んでいきます!

活動報告会の2部では医療的ケア児のママをゲストに迎え、医療的ケア児の就学と親の就労問題についてディスカッション。1時間半を超える時間ながら、多くの方に見て頂きました。

アンリーシュは、2021年は「医療的ケア児の就学問題」「医療的ケア児ママの就労問題」に取り組んでいきます。

それでは第2部の様子は次の記事で!

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