こんにちは!ライターのあまねです。私の息子だいちゃんは、生まれつき心筋梗塞という珍しい心疾患です。
今日は息子が約9カ月の入院生活を経て、初めて家に帰ってきた2泊3日の外泊についてレポートしようと思います。
経鼻栄養:ミルク注入 1日6回1時間半
薬:12種類 1日3回
カニュラ酸素:必要に応じて
他にも、離乳食・哺乳瓶でのミルクを練習しています。
吐き戻しが多く、薬を吐いてしまわないか不安でした。
家族構成は、もうすぐ4歳になる姉が、母(私)、父の4人です。
2泊3日の外泊を終えて病院に戻ると、たくさんの看護師さんや理学療法士さんから声をかけてもらいました!
「お帰りなさい!外泊はどうでしたか?」
私「はい!すごい幸せでした!」
と答えたい気持ちは山々
実際の私の答えは「……大変でした。」
「どう大変だったの?初めてで慣れてないし大変だったとは思うけど・・・」
と言われましたが、なんとも一言では大変さを説明しずらいので、今日はどんな2泊3日だったかをスケジュールでご紹介しようと思います。
息子が帰ってきてくれたことはめちゃくちゃ嬉しかったです!
しかし実際ごまかせないくらい本当に大変だったので、ありのままに記載しようと思います。
どう大変だったのか気になる医療従事者の方や、長期入院を経てこれから外泊や退院が目前に迫っている方の参考になれば嬉しいです。
目次
息子が家に帰ってきてくれた~涙のバウンサー~
息子だいちゃんは、生後8日目に入院しすぐ危篤状態となりました。
「もう手の施しようがありません。息子さんにお別れをしてください。」 そう言われ、絶望しました。
深夜にそのことを告げられて、病室で待っていると、なんとか体調を持ち直し朝を迎えました。
一命を取り留めたものの、息子はもう生きられないんだと絶望的な気持ちで家に帰ると、荷物が届いています。
それは私の友人が出産祝いをくれるというので、私からリクエストしたバウンサーでした。
せっかく友達が贈ってくれたのに、私は本当に悲しく申し訳ない気持ちになりました。
そして友人に「バウンサー贈ってくれてありがとう。でも本当にごめんね。だいちゃん心臓が悪くてもう生きられないんだ。せっかくくれたのに、だいちゃんバウンサーを使うことができないんだ」と伝えました。
息子が亡くなったら、バウンサーは乳児院にでも寄付しようと思っていました。
しかし、今回、息子は家に帰ってきてくれました!
そしてバウンサーにのれました!
嬉しすぎて何枚も写真を撮り、すぐに友人に報告したら喜んでくれました。
また念願の家族写真も撮れました!→家族写真のイラスト描きます!
もう生きられない、そう言われたのに息子はど根性で帰ってきてくれました。
たくさんの方の力を借りてここまでこれた息子。
2泊3日という短い時間ではありましたが、家族で暮らす幸せを感じることができました。
大変な外泊でしたが、息子が帰ってきてくれて幸せだったというのは大前提ですよ!!
激動だった外泊2泊3日のスケジュール
外泊の目的はもちろん退院の為の練習です。
家での生活を数日まずは経験してみることで、実際に不安に思ったことやわからなかったことを確認する為の時間です。
なので、外泊前には退院指導というものがあります。ざっとですが、退院前1週間の間にしたことはこんな感じです。
・訪門看護士さんを調べて希望あれば伝える
・一次病院、二次病院考えてくる
・リハビリ外来(神経科)予約とる
・看護師→注入の仕方、薬の入れ方、鼻チューブ挿入
・薬剤師→薬の説明
・栄養士→ミルク調合、離乳食
・臨床工学技士→注入機械の使い方、酸素の使い方
・退院調整看護士→物品購入のやり方説明
・医療ソーシャルワーカー→訪問看護の調整、保健師との連絡やりとり
・酸素業者→在宅酸素設置の日取り
・訪問看護ステーション、2箇所(訪問看護ステーション、面接相談あり)
・ヘルパー問い合わせ(役所の障害福祉課、面接相談あり)
・ファミサポ(子ども家庭支援センター、面接相談あり)
・在宅重症心身障害児(者)等訪問看護事業(保健師、面接相談あり)
また医療的ケアグッズや赤ちゃんグッズなど沢山の買い物をしました。わからないグッズはいちいち調べて選んで購入しなきゃいけなかったので時間もかかりました。
退院前の指導と準備で正直私は忙しく疲れ切っていました。
不幸中の幸い?息子の体調不良が続き外泊は2週間延期になったので、私は間に合ってなかった上記の準備を進めつつ、体調を回復することができました。
医療的ケア児を自宅で育てるということはとても大変だと準備の時点で実感しました。
1日目(日曜日)
金曜日の時点で、もし日曜の朝の血液検査の結果がよかったらそのまま外泊しましょうかと言われていました。
しかしそれは奇跡的な話なので、可能性は低いとも言われていたので「また延期かな」とかなり油断していました。
10:30 病院から電話あり。
「検査の結果、悪くないので外泊行ってみましょう」
「これからミルク注入なので12時半過ぎに来てください」
訪問看護さんと打ち合わせ中だったので、終わらせてからばたばたと支度をして電車で向かう
13:00 病院到着 物品の説明を受ける
説明中にミルク吐く
14:00 病院を出発
タクシーが捕まらず20分ほど待つ
タクシーは揺れるし臭いし、息子泣くので心配 (コロナの影響で公共交通機関の使用は控えるように言われていました)
15:00 帰宅
だいちゃんをバウンサーにのせてあげる (涙のバウンサー)
写真撮影など うれしすぎてこの日だけで100枚以上の写真を撮った!
私お昼ごはん抜きで腹ペコだったのでトースト2枚焼いて口に詰め込む
16:00 帰宅後初めての注入準備
ミルク作りにも慣れていないので粉こぼしたりもたつく
娘「私もミルク作るの手伝う~!」
私「お母さんも余裕ないから無理!手伝ってもらうのはまた今度!(怒・焦)」
16:30 注入開始
最初は16時からと言われていたけどずれてしまった
17:00 薬をお薬カレンダーにしまう
たった二泊三日夜朝昼夜朝と5回分だったけど、薬をハサミで切り分けて間違いないようにポケットに入れるだけでも30分ほどかかってしまう。
もちろん息子や娘の相手をしながらなので、途中邪魔されて30分連続で集中して作業できる訳なかった。
18:00 家族の夕飯準備
作る気力なくあるもので済ませる
19:00 だいちゃんのお風呂は夫に入れてもらう
お風呂は楽勝かなと思いきや鼻チューブをお風呂の水道の蛇口にひっかけて引っこ抜く
20:00 この時点で疲れ切っている私は思考がうまく働かない。自分も入浴して休む
20:30 せっかく鼻チューブが取れたのですっきり顔で記念撮影
このあと夫と二人で鼻チューブ入れ直す。息子泣く。
21:00 薬を入れようとしたがどうしても溶けない薬がある。イライラする~
(マジで!製薬会社さんにお願い!薬は全部水に溶けるやつにして~!!)
無理やりシリンジ(注射器型の注入用具)に薬を吸わせて鼻チューブから入れようとするけど、詰まってシリンジが前に進まない、動かない。力ずくで押し込む。イライラ〜
*以後薬を入れる度に私はイライラしてるものと思ってお読みください
21:30 ようやく薬入れ終わる。
娘が眠いと泣き出す。息子は興奮の為かずっと起きていたため眠そうな表情。早く寝かせてあげたいけど、まだミルクを作り終えてない。
22:00 ミルクを作り終わり、息子にミルクを注入し部屋を出る。息子爆睡。
(娘と息子は部屋を別にした)娘の寝かしつけする。
22:30 ミルクを作る時に使う器具などを片付ける。
23:00 仮眠をとる 普段はそのまま朝まで爆睡なので、寝過してはいけないというプレッシャー
24:00 セットしておいた目覚まし時計が鳴る。ミルク用意する。
2日目(月曜日)
(深夜ですよ!)
0:30 ミルク注入 一時間半だから終わるのは2時かぁと思って仮眠。
1:30 ゲホゲホと音がすると思ったらミルク吐く。洋服と下に敷いていたタオル洗濯する。
2:00 注入終わったかなと思ったらまたミルク吐く。洋服と下に敷いていたタオル洗濯する。
2:30 片付け終わって就寝。
息子と同じ部屋で寝ようと思ったけど、目が覚めてしまったのか指をちゅぱちゅぱなめている。いつもは可愛いと思えるその音すら煩わしくなり、隣の娘の部屋へ避難。しばし休憩と思って寝る。
4:00 息子泣いたので、抱っこしてあやして寝かせる。
5:50 隣に母がいないことに気づいた娘「ママッ~涙」と叫ぶ。家族みんな飛び起きる。
娘の部屋に移動して「大丈夫だよ、ママいるよ」となぐさめる。
6:30 急いで息子の薬を飲ませる。
7:00 ミルクを用意して注入。娘の幼稚園のお弁当作る。
8:00 娘に朝食を用意して食べさせつつ自分も食べる。
9:00 父が娘を幼稚園へ送る時間だが、「ママに送ってもらいたい」と泣きだし駄々こねる。
9:30 娘ようやく折れてパパと娘が幼稚園へ行く。
10:00 少しほっとしたところで息子が寝る。ミルク注入。昨日の夜ほとんど寝れていないと思って部屋を暗くしてあげると爆睡。
10:30 母少し空き時間でホッと。
でも常に「息子、大丈夫?生きてる?」と気になって生存確認が欠かせないためぐっすりと休めない。
12:00 母のお昼ご飯
火を付ける元気なく簡単にコーンフレークで済ます
13:00 ヘルプに呼んだ祖父が来てくれる。息子を抱っこなどであやしてくれる。
その間に薬やミルク注入準備などができた。ミルクを哺乳瓶で飲ませてあげる。
13:30 薬、ミルク注入。訪問看護さん来てくれる。
初めての訪問看護だったので、今の状況などを簡単に説明する。
14:30 あっという間に60分経過。訪問看護さん帰る。
祖父が息子と遊んでくれるとのことでお願いして仮眠をとる。離乳食を作ってあげようと思っていたが気力なく断念。
15:30 息子の泣き声が聞こえるので行ってあやす。ミルクを吐く。洗濯する。
また祖父にお願いし仮眠をとる。
16:30 息子泣く。ミルク吐く。洗濯する。
17:00 サチュレーションが下がり、脈拍も高く苦しそう。
抱っこしても泣き止まないため病院に電話して確認してカニュラ酸素を付ける。息子落ち着く。ミルク注入。祖父帰宅。
18:00 娘と夫帰宅。娘は迎えもママがよかったと幼稚園で泣いていたらしい。
18:30 娘と親のごはん用意。
相変わらずごはんを作る気力はなく、あるもので簡単に済ませる。
19:30 娘と息子を夫にお風呂入れてもらう
20:30 薬を飲ませる。ミルク用意 ちょっと慣れてきたので昨日よりもスムーズ!
21:00 ミルク注入 そのまま爆睡の息子
21:30 娘の寝かしつけ
22:00 ミルク作った用具など片付け。目覚ましセットして仮眠。
24:00 目覚ましなってミルク作る
3日目(火曜日)
1:30 ミルク注入終了
息子は昨晩眠れずに疲れ切っていたのか、酸素を付けたことによって身体が楽になったのか、多分両方だけど爆睡。サチュレーションはむしろ高すぎじゃないか?と心配。注入ボトルなど片付けて就寝。
4:30 ゲホゲホしているので見たらミルク吐いている。着替えさせて洗濯してまた仮眠
6:00 薬、ミルク注入
起きて見たら、息子がお布団から落ちて床に寝ていた!そんなに派手に動けるようになったのね~2泊3日での成長が目覚ましかった。
この日は病院に戻る日だけど、父が出張の為どうしても9時半頃には病院についていないといけない!
娘のお弁当を作る、娘を起こして朝食を食べさせる、支度する、どうしても幼稚園に送っていくのはママがいいと主張する娘ともめている時間がもったいないので私が娘を幼稚園に送る。
忙しすぎて記憶がないけど、私はかろうじて朝ごはんは食べたけど、歯磨きもせず顔も洗わず急いで大きなキャリーバックに病院に持って帰る荷物をまとめる。
8:30 タクシーに飛び乗る。
相変わらず揺れるし臭いし疲れるタクシー
9:20 病院着。
無事に送り届けてホッとしたのも束の間
「あら、熱がありますね、ちょっと待ってください」と言われる。父はそのまま出張へ出かける。
コロナの影響で病院は熱がある人に対して敏感になっている。(もちろん大事な対処です!)
37.9度 (このくらい心不全の影響ですぐ発熱するんだよ~早く病室で休ませてあげて、保冷材でクーリングさせて)と心の中で叫ぶ。
すぐ病室には戻れず、別室で待機。保冷剤で冷やすと下がりやっと病室に戻れる。
10:00 病室に戻る。
私この時点で疲れ切って「水を買ってきます。。」と退出。看護師さんから急がないので、休んでくださいと言われる。
12:00 面会を終えて帰宅。
家で爆睡。その後お昼寝と夜合わせて12時間くらいは寝たけど、しばらく疲れが取れず体調不良となる。
外泊を経て退院に向けて思うこと
今回の外泊の反省
今回は急に決まったため、日・月・火になりましたが、夫もいる土日の方がよかったなぁと思いました。
外泊の目的は退院後の生活の疑似体験です。仕事のある平日の方がもちろん長いのである意味リアルな体験はできました。
が、退院後は夫も薬やミルク注入の手技を覚えてもらって、私と同じようにできる必要があります。その練習をしてもらうくらい余裕があればよかなったなと思いました。
夫に教える余裕も時間もなくあっという間に2泊3日が終わってしまい、気づけば全て私が息子のお世話の実働も責任も背負っているようで、体力的にも精神的にもきつかったです。
あと申し訳ないことに、娘には全く優しくしてあげる余裕がありませんでした。
自分でできることは自分でやってと思うばかりで、私も余裕がなく、甘えさせてあげることができなかったです。
退院したら大変な生活が待っているけど、慣れる。慣れるだろうけど、きっと大変
今回の外泊では、睡眠時間が圧倒的に削られると感じました。連続して眠れないのは体力の回復が遅くなります。
また命を守らなきゃいけない緊張感が常にあるという精神的なプレッシャーもすごいです。薬を入れ忘れたら命取り。
しかしこれはきっと日常になればある程度慣れるでしょう。薬やミルクの注入もおそらくもっと早くできるようになるし、生活リズムも安定してくるでしょう。でも絶対大変!!体調崩す自信しかありません。
今回は平日夫が家にいないため、祖父を応援に呼べて本当に助かりました。また退院したら訪問看護さんやヘルパーさんなどにもお世話になりたいと思っています。それでもきっといっぱいいっぱいになる、そんな予感あふれる外泊となりました。
もしこれから外泊する人、退院する人がいたら、頼れる人には頼って、使えるサービスを駆使することをお勧めしたいです!親が倒れたら家族が総崩れします。そうならないようできる限りの工夫が必要だと感じました。
病院に息子を連れて戻った時には、残念ながらさみしさよりも安心したという気持が強かったです。こんな外泊を経て私は、息子といられた幸せよりも大変さが勝ってしまい、少し切ないものとなりました。
でも最初に書いたように、家族で過ごせた時間は素晴らしいものでしたよ!!一緒にいられた幸せを大事にします。
まずは外泊二泊三日、実現できて本当によかったです。
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