「頑張ったらできるかもしれない」から始まった医療的ケア児の保育を目指す一人の女性(埼玉県朝霞市)

埼玉県朝霞市は、重度の障害や疾病などにより保育園などの保育施設で集団保育が困難な児童の自宅に保育士や看護師などを派遣する「居宅訪問型保育事業」を導入することを決めた。

この事業は自宅に保育士などを派遣し、保護者の負担を軽減するのが狙いで、2019年度の対象は1人。年間予算は665万円を予算計上しているという。

 

少数の意見(小さな声)に耳を傾け、事業化した朝霞市。この朝霞市の素晴らしい取り組みについて、アンリーシュではどのようにして事業化が成立したのかを追ってみることにした。

そうすると、全ては朝霞市在住の中田陽代さんから始まったことがわかった。我々は中田さんに連絡をとりインタビューを実施することに成功。

中田さんは、とても柔らかくそして芯のある女性でした。

 

周囲の協力を得ながら市役所に相談することから始める

 

竹内

2月21日に中田さんがあるFBグループで投稿されたことで、朝霞市が4月から医ケア児の居宅訪問型保育事業がスタートすることを知りました。

投稿には「ここにくるまで2年かかった。」と書いてあり、相当な苦労があったのかなと感じ、読んだ瞬間「取材させていただきたい」とDMしていました(笑)

中田さん
DMありがとうございました!念願の事業スタートに伴い、ブログで「これまでの経緯を少しずつ発信していかなきゃ(でも作業時間がとれないどうしよう)」と思っていたので、取材のご依頼は渡りに舟でした。

 

竹内
この取り組みをやろうと思った理由を教えてください

 

中田さん

無知がゆえに「頑張ったらできるかもしれない」と思ったからです。
そう思えたのは、私の周りの人たちが一歩踏み出すためのスモール・ステップを用意してくれたからでした。

まずは勤務先の人事課長。13トリソミーの次女を授かって、復職できないかもしれないことを会社に相談したとき、「復職したいなら応援するよ」「前例がなければ、それをつくるのが私たちの仕事だからね」と言ってくれました。

次に会社の先輩。「何か良い方法がみつかるかもしれない」と、会社のオウンドメディアでNPO法人『フローレンス』代表の駒崎 弘樹さんに取材をする企画を立ててくれました。(無視され続けた障害児保育への怒り フローレンス代表・駒崎弘樹×村上絢

取材後まもなく次女は亡くなりましたが、当時の人事課長にめちゃくちゃお願いして、復職の猶予期間(3ケ月)をもらいました。こんな勤務先に恵まれて、障害児保育のプロにアドバイスをもらえた当事者は他にいないかもしれない。じゃあ私がやるしかないかな、と思いました。

それで、朝霞市で医療的ケア児の保育を目指す取組みを始めることにしました。

 

竹内
駒崎さんからは当時どのようなアドバイスがあったんでしょうか?
中田さん

「まずは(自分と同じような境遇の)仲間を5人集める。そして市役所に行くといいよ」と言われました。居宅訪問型保育を実施できる法律ができたから、フローレンスさん以外の事業者でも実現は可能になったし、条件が合えば障害児保育園ヘレンの誘致を検討することも可能だと教えていただきました。

 

仲間集めの前に市役所へ、話を聴きに行ったところ、なんと保育課から「医療的ケア児の保育ニーズがあるなら取り組んでもよい」という回答をいただきました。「ニーズを証明する必要がある」ということだったので、その場で『医療的ケア児の支援を考える会』をつくることに決めました。

 

竹内

さらっとおっしゃるのですが、それってとてもハードルが高いことのように思います。まず、「仲間を5人集める」というだけでも自分の思いを言葉にして伝えて、賛同を得る必要があるわけですよね。

 

中田さん

そうなんですよね。さらっと始めてしまったんですが、とんでもなくハードルが高いことでした。朝霞市は14万人ほどの人口です。その中から未就学の医ケア児世帯をみつけること。更にその中から保育ニーズを見出す必要がありました。

仲間を集めるにあたり、朝霞市に住んでいる未就学の医療的ケア児が一体何人いるのか。市役所も、保健所も、社会福祉協議会も、『医療的ケア児』というカテゴリーで数を把握している人は誰もいませんでした。

障害者手帳を申請する人の中には医療的ケア児がいることもある、『小児慢性特定疾患』を申請する人の中に医療的ケア児がいることもある、児童発達支援センターに通う人の中に医療的ケア児がいることもある。でも『医療的ケア児』というカテゴリーで数を把握しているわけではないので、個別案件をひとつひとつ確認していかないと手帳保有者や小児慢性特定疾患取得者の中に医療的ケア児が何人いるかはわからない。

市役所や保健所が持つ断片的な手がかりをつなぎ合わせたくても、個人情報保護の絡みもある。今は『医療的ケア児等連絡協議会』ができましたが、当時は横の連携をとるネットワークがありませんでした。

だから日時と場所を指定して、交流会というかたちで当事者に集まってもらおうと考えました。それが2016年10月ごろです。

 

竹内
具体的に会を起ちあげた2年間で行ったことはどんなことでしょうか?

 

中田さん

未就学の医療的ケア児を育てている当事者世帯と、医療的ケア児をサポートしたいという医療従事者や福祉専門職・行政・地域の方々との交流会を過去4回ひらきました。小さいものでは、当事者のお母さんたちとのランチ会を開いたり。「障害のある子どもにとって、理想的な環境とは何か?」を知るために、当事者のお母さんと埼玉県富士見市にある児童発達支援センターを訪ねたりしました。

 

竹内

さらに、「障害児訪問保育事業の導入と障害児保育園ヘレン誘致に関する要望書」を朝霞市役所保育課へ提出するなどかなり具体的な行動をされています。もともと交流会をひらいたり、行政とコンタクトをとったりすることには慣れていらっしゃったのですか?

 

中田さん

いえ全然。やると決めてしまったから、やらざるをえなかったです。実際、交流会をやることに決めたものの、プログラムづくりには毎回頭を悩ませていました。1回目の交流会に参加してくれたサポーターの方たちに、2回目、3回目の企画を一緒に考えてもらったり、当日の運営をサポートしてもらったりしていました。

そんなふわっと始めた交流会でも、いざやってみるととても意味があることなんだということに気づきました。なんとですよ。未就学の医療的ケア児は、集まること自体にめちゃくちゃ価値があるんです。

 

竹内

なるほど。周りの人が手伝ってくれることや喜んでもらえることなど、実際にやってみるとわかることがたくさんあったみたいですね。

 

朝霞市に医療的ケア児はいない?

中田さん

会をつくるときに、埼玉県保健所の当時の課長に言われたんです。「朝霞市には、昔から医療的ケア児は『いない』って言われてるんだよね。なぜか」と。

さきほど医療的ケア児の人数把握が難しいという話をしましたが、NICUGCUから退院して一旦病院を離れてしまうと、子どもたちの存在が「見えなくなってしまう」んです。地域に通える保育園や幼稚園もないですからね。子どもたちは必ずしも、自治体にある療育に通うわけでもないです。

 

竹内

実際にいるのに、市が人数や実態を把握するのが難しい状態なんですね。

 

中田さん

見えていないというのは、いないことと同じなんです。いないと思われているから、医療的ケア児が使える福祉資源の選択肢がほとんどない。ないに等しい。なので、交流会でとったアンケートを取りまとめて要望書というかたちにしたり、開催報告を定期的に市役所の保育課や障害福祉課、埼玉県保健所なんかにあげたりしていました。

2年間の活動で大変だったこと

竹内

この2年間で困難に感じたことは何ですか?その時、どうやって乗り越えてこられましたか?

 

中田さん

乗り越えられてはいないんですが……医療的ケア児にとって急性期といわれる0・1・2歳のお子さん家庭とつながることの難しさをずっと感じていました。先天的な疾患により、生後早い段階から医療的ケアを必要とする子どもたちは、体調が安定しないことが多いです。入退院を繰り返す子や、命を落とす子も少なくありません。

親は、死が身近にある子どもの体調を気にかけながら子育てすることに手いっぱいで、外に目をむけることはなかなか難しいと感じています。わが子の障害の受容には相応の時間がかかるだろうとも思います。さらに、医療的なケアが重いと、外出自体が困難なことでもあります。

しかし、育休は基本的に1年間。育休延長で2年間。無給なら最大3年間です。その世代のお子さんとつながらなければ、働いていたお母さんは仕事を辞めざるをえないので、保育ニーズはなくなってしまいます。

市内に住む未就学の医療的ケア児のお母さんのなかで、仕事を辞めていないという方に出会うのに2年かかりました。

 

活動していくと多くの方が協力してくれる

中田さん

交流会をひらくにあたって、WEBとリアルで告知をすることにしました。友人のWEB制作事務所「デザインオフィスサークル」にHPをつくってもらったり、SNSで発信したり、市が発行する広報に掲載したり、市会議員の福川先生に毎回チラシを大量に印刷してもらって、サポーターとしてつながった方々にチラシを配布してもらったりもしました。

最初のほうは交流会の告知をFacebookの個人アカウントで発信していたので、会社の先輩や取引先の方が、会場設営や撤去を手伝いに来てくれたりもしました。

自分でもチラシの設置をお願いしに、いろいろなところを回りました。大学病院や総合病院、クリニック、児童発達支援センター、社会福祉協議会、訪問看護、市役所、保健所、児童館、子育て支援センター、保育園など。お願いにいったところは、ほとんど好意的に設置協力をしてくれました。全然断られなくて、自分がびっくりしたくらい。

実際に交流会に来てくれたのも、半数ほどが行政・医療・福祉・教育職の方々でした。医療的ケア児の家庭をサポートしたいという人は、思った以上に多くいるんだと思います。

 

竹内

そうだったんですね。とにかく行動しまくった中田さんをみんなサポートしたいという思いだったんでしょうね。

それはやってみないと気づけないことかもしれないですね。

 

目標が叶った今思う事

朝霞市と意見交換した日。(左からアンリーシュ金澤、竹内、中田さん、杉田医師、朝霞市職員様)

竹内

事業化が実現した今、この2年間を振り返って思うことを教えてください。

 

中田さん

昨年11月、介護ヘルパーとベビーシッターを併用しながら仕事を続けているお母さん、当時市会議員の松下先生と一緒に、保育課へ打合せに行きました。そこで、いくつか提案したなかから採用されたのが、今回の居宅訪問型保育事業です。

朝霞市にはいないいないと言われていた医療的ケア児ですが、の事業スタートをきっかけに、新たにつながった当事者のお母さんもいます。朝霞市の医療的ケア児はいないんじゃなくて、見えなかっただけ。福祉資源がなにもないから声をあげなかっただけ。希望があれば、声もあがるし、見えるようにもなるんだと思いました。

医療依存度の高い医療的ケア児は、まず第一に医療資源がない場所では生活できません。しかし医療的ケア児といっても、子どもは子ども。どんな子どもも、遊びたいし、楽しいことがしたいのは同じです。だから、医療だけでは生活はできない。同世代の子どもと接点を持ったり、社会と接点を持ったりするための福祉資源が必要だと思います。今回の保育事業をきっかけに、医療的ケア児を地域で支える仕組みが整っていくと良いなと思います。

 

医療的ケア児のママやご家族に向けたメッセージ

竹内

最後に読者に向けてメッセージをお願いします

 

中田さん

医療的ケア児界隈の話を大学の先生なんかに相談していると、昔の介護の状況によく似ていると言われます。高齢化が進み、利用者が大幅に増えたことで、今ではさまざまな選択肢がある大人の介護。そういった今の状況は、当事者家族が少なからず声をあげて課題に取り組んだ結果かもしれないと想像します。

当事者家族が起業して福祉を担うことまではしなくて良いと思いますが、「何がどうなって欲しいのか」声をあげることは大切かもしれません。サポート側だけで検討して提供する福祉は、当事者たちのニーズとはズレてしまう可能性があるからです。声をあげれば、力になってくれる人は意外にもたくさんいます。

市役所もそう。住民がより良く住めるように日々インフラを整えてくれるのが市役所です。個人として接すると何かと対立しやすいですが、団体という人格を持って接すると、自分が客観的になれて話がしやすくなるのでおすすめです。きっと目標のすり合わせもスムーズになると思います。次女の同級生のお母さんも、山形県で「やまがた医療的ケア児の会」というのをつくって活動しています。大変なので簡単にはおすすめできませんが、得るものも多いですよ。

 

竹内

今日はありがとうございました。

 

医療的ケア児のご家族・地方自治体の皆様へ

アンリーシュでは地域の自治体が医療的ケア児とその家族が暮らしやすい社会をつくるための取り組みや工夫を取材しています。

”マスメディアに取り上げてもらうことは難しいけどこの活動を世の中に少しでも知ってもらいたい!”

そのような思いのある医療的ケア児家族様や地方自治体様はこちらから取材の問い合わせをお願いいたします。

 

 

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