こんにちは。なおこです。
アンリーシュ代表の金澤裕香の記事が、webメディア「soar」に掲載されました。
タイトルは、
「娘が生まれてから、亡くなった今でも私はずっと幸せ」重度の障害がある6歳の娘を亡くした金澤裕香さんの思い
です。記事へのリンクはこちらです。
金澤のお子さんである菜生ちゃんは、病名が不明のまま治療のために入退院を繰り返し、2019年11月に闘病の末、亡くなりました。
この記事は、金澤がお子さんを亡くした後、何を思い、どのように生きているかを綴った内容となっています。
大切な人が亡くなるということ
大切な人が亡くなるということは、人生においてどんなに壮絶で辛い体験でしょうか。
別れとは耐え難く辛いものですが、大切な人の死は、その人との永遠の別れを意味します。
記事の中で金澤は、死についてこう書いています。
誰かが死ぬというのは、一生謝ることも許してもらうことも、できなくなってしまうことだ。
大切な人を失うということは、二度と思いを伝えることができないということなのです。
そんな当たり前のことに、私はこれを読んで初めて気付かされました。
いつでもできると思っていることは、いつまでもできることではないのです。
「娘が亡くなった今も、やっぱり娘の存在が愛おしいから毎日幸せ」と私は言えるだろうか
記事のタイトルにもあるように、金澤の書いたこの記事は、この一言に全てが集約されているように感じます。
「娘が亡くなった今も、やっぱり娘の存在が愛おしいから毎日幸せ」
一体どれだけの涙を流せば、人はそう思うことができるのだろうかと思います。
私自身が同じ境遇になった時に、同じ言葉を出せるだろうかと、今でも何度も繰り返し考えます。
答えは出ません。
菜生ちゃんに教えてもらったこと
私は何度か、生前の菜生ちゃんに会うことができました。
その時の体験を正確に表現することはできず、本当にありきたりな言い方になりますが、彼女の存在は私の人生を大きく変えました。
言葉を持たないお子さんでしたが、言葉以外のたくさんのメッセージを私は彼女から受け取りました。
「大切な人の存在や、その人との経験は常にずっと残っている」
と、金澤も記事に書いているように、菜生ちゃんから教えてもらったことは私の中で消えることはありません。
それを菜生ちゃんに伝えることが永遠にできないのだと思った時に、これが「大切な人が亡くなることなのだ」と私の中でも理解できたように感じました。
アンリーシュは、代表の金澤が菜生ちゃんの育児で感じた課題を解決するため、設立されました。
医療的ケア児とその家族への支援が十分ではないこと、主たる介護者である親への負担が大きすぎる現実、みんなと同じように学校に行けない子どもたちなど、まだまだ課題は山積みになっています。
これからもアンリーシュは、それらの課題解決に向けて発信を続けていきます。
そんなアンリーシュの活動の元になっているのが、今回記事にもなっている、金澤の想いなのです。
たくさんの人に読んで頂きたいと思っています。
感想もお待ちしています。シェアも歓迎です。
そして、これからも、アンリーシュを末長くどうかよろしくお願い致します。